>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑳ ~組長の死~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑳ ~組長の死~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


親と子と


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写真はイメージです

 六代目山口組の直系組長が相次いで死亡している。先日亡くなった組長は、三重県内にある直系組織の二代目組長であった。

 この組織は、六代目山口組内はもとより近畿・北陸地区では名門組織として知られている。テキヤ組織を中心に結成され、やがて、山口組入りした。生粋の博徒とは違ったが、近畿・北陸地区に確固たる基盤を築いており、時代の変化と共に、ヤクザ組織としても立派に進化をとげた組織であった。近畿・北陸地区でその名を知らない人はいないほどの直系名門組織であった。

 三重県内に本部を持つこの直系組織は、六代目体制になってから、近隣のよしみもあって名古屋一派、特に、隣県である愛知県内に本部をかまえる弘道会とは親しい間柄だった。 

 あらゆる組員たちが入牢している刑務所内でも、弘道会の組員と顔を合わせれば「出たら一緒に遊びに行こう」等と近隣の者同士の会話や約束も多かった。組織同士というよりも、各組員個人レベルでの近所付き合いのような親しさがあった。また、三代目弘道会会長が若い頃、三重県内にいたこともあって、六代目山口組内では他の直系組織よりも、この組織の組員たちは自然と弘道会の組員たちと様々な付き合いを持っていた。言わば、うちうちの付き合いというやつである。

 分裂騒動勃発時からこの直系組織は、六代目山口組内に残留し続けることが濃厚と見られていた組織のひとつであった。六代目山口組内での役職順等はともかくとして、名古屋一派の雄である三代目弘道会にとっては、親しく、そして、大切な直系組織のひとつであったことは間違いない。そんな組織の二代目組長が亡くなったのである。

 これがいったい何を意味するのか?

 ヤクザ業界でいうところの事始め(12月13日)の時期に、三代目弘道会にとって、親しくて大切な直系組織の組長が亡くなった。亡くなった組長にすれば、無念であったことは言うまでもないが、三代目弘道会会長はこのことについて何を思うのだろうか? 身近な人が亡くなったことについて、どう感じているのだろうか?

 さらに、六代目山口組組長は、子分が亡くなって、どう考えるのだろうか? 亡くなった直系組長は、死亡する間際、意識がなくなる寸前まで、彼が何を話したのか、何を口にしたのか。そして、どうしてこうなったのか、六代目は考えるべきではないだろうか。

 子分が、死んでいるのである。

 自殺であれ、他殺であれ、六代目山口組統括委員長が、「菱の傘は、家族の傘のようである」と言うのであれば、家族としてどうするのか、ぜひ知らしめてほしいところである。

 ともかく、三代目弘道会にとって、そして、六代目山口組にとって、親しくて大切な直系組織の組長が亡くなった。その意味を、六代目山口組全組員は噛み締めなければならないのではないだろうか。


(取材/文 藤原良)