
「調書のほうも拝見させていただきました。
まぁっ、なんとかなるんじゃないか、というのが率直な私の感想です。
法廷というのは、ものすごく世論を気にしましてね。いくら『事件当時、被告人が心神喪失している場合は罪に問うことはできない』と六法でうたっていても、それを認める判決を出すケースはまずありません。
世間を震撼させればさせるほど、引き起こした事件が凶悪であればあるほど、皆無といってよいでしょう。
精神鑑定というのは、数字の公式のように、こうなって、こうなって必ず答えはこうなる、というものではなく、同じ人間を鑑定したとしても、鑑定人によって、必ずしも一致する、というわけにはいかないんですよ。
気を悪くなさらないで聞いて下さいね。
もし、あなたを3人の医師が鑑定したとします。そのうちの2人が心神喪失だという鑑定結果を出したとしても、残る1人が、正常──つまり責任能力があると言えば、その鑑定結果こそがもっとも信用足るということで、裁判所に採用されてしまうんです」
一般面会と異なり、弁護人は接見に際しての時間制限はなく、刑務官が立会に付くこともない。オレは口をはさむことなく、圧倒されたまま、先生の話に聞き入っていた。
「かりに、3人が3人とも心神喪失の鑑定結果を出したとしても、今度は検察官の意向にそった"もっと信用できる鑑定人"が登場し、『責任能力あり』の鑑定結果が出されるまで、延々と精神鑑定は続いていきます。
そして、医学界では、刑事裁判で正常という鑑定を述べた学者が出世していき、バカ正直な鑑定結果を書いた医師は、窓際に追いやられる、というわけです。
裁判官にしてもそうです。
昔は、『刑事事件で3回、無罪判決を出せば、出世できない』と言われていましたが、今は世間の誰もが知る凶悪事件を受け持ち、一度でも無罰という判決を出してしまえば、その判事の出世は二度と閉ざされてしまう、と言っても言い過ぎではないでしょう。
考えて見てください。あの連続幼児誘拐殺人事件の犯人。あれなんて、わざわざお偉い鑑定人の先生が鑑定しなくても、我々、素人目にだって、異常だとわかるわけじゃないですか。
それがどうですか正常で、責任能力あり、の鑑定結果が出され、首をくくられるんですから。
そういうものなんです」
"お偉い"という言葉を口にした時の喋り方で、山田先生が鑑定人のことを快く思っていないことが窺えた。
「遠回りしてしまいましたが」と、先生は断りを入れた後、いよいよそこから話の核心へと入っていった。
「戦略としてはこうです。
精神鑑定を申請します。そこで狙うのは、心神喪失ではなく、あくまで心神衰弱のほうです。ご存知かと思いますが、心神喪失は無罪、心身衰弱は刑が一等減刑され、死刑ならば無期になります。
藤城さん、裁判はあくまで戦(いくさ)です。私は負ける戦はやりません」
オレを見つめる山田先生の目は、自信に満ち溢れていた。