【ここまでのあらすじ】3人の命を殺めた罪で拘置所に収容中の藤城杏樹。杏樹の心の支えは、まめに面会に来てくれる恋人のヒカリやヒカリの子、英須(えいす)だった。一審の裁判で死刑判決を受けた杏樹に、控訴してほしいと必死に訴えかけるヒカリ。その姿に心が揺れる杏樹だったが、自分がしでかしてしまった罪の大きさが杏樹に控訴をためらわせる。そんなある日、杏樹はぼんやりとヒカリとの出会いを思い返していた。
連載小説『死に体』第32回 第ニ章(十)
正月休みが明けても、『使者』は続々とオレのもとへと送り込まれてきた。
ついには、編集者のサトウさんまで訪れ、
「ほら、見て下さいっ! こんなにもあなたの作品を読んで感動してくれる人たちがいるんですよっ! この人たちのためにも生きて、また人の心を震わせるようなどんでん返しの小説を書いて下さいっ! ねぇっ控訴しましょうよっ!
ねっ! ねっ! ねっ! ねっ! ねっ!」
全国の奇特な方から届けられたファンレターをバックの中から取り出してヒラヒラと振りながら、オレを必死になって口説こうとしてくれた。
(いい人だな......)と思った。原稿を送ったコトで知り合っただけの関係だというのに、こうしてわざわざ東京から面会へと来てくれ、オレのために一生懸命になってくれている。
本当にいい人だな、と思った。
そして運命の分かれ道。
控訴期限一杯となる最終日の、1月7日がやって来た。
日付けが変わる午前12時までに控訴の手続きを取らなければ、泣いても笑っても、悔やんでも、絞首刑が確定してしまう。
昼過ぎに面会へと訪れたヒカリは、泣きそうになってしまうくらい優しかった。
もう控訴のコトについては、何も言わなかった。
2人ともワザと、その話題を避けるかのようにはしゃぎあった。
「すぐにわかったよっ。英須はニヤニヤニヤニヤしながらウロウロウロウロしてるし、杏っちゃんは杏っちゃんで、可哀想なくらい、オドオドオドオドしてるねんもんっ。見てるコッチが、ハラハラして気つかったわっ」

バレておらんと思っていた。
オレの中では、アカデミー男優賞並みの『しらばっくれかた』だと思っていた。
英須のほうはヒカリの指摘通り、オレも見ていてハラハラさせられるシーンが幾度かあったが、それでも男同士のかたい約束を交わし合ってるだけあって、なかなかの子役ぶりだった。
ましてやヒカリを観察している限り、気付いているふしなどどこにも窺えず、当日のあの驚き方が、実は作られた演技だったとは......。
どうもアカデミー賞は、オレでも英須でもなく、彼女にふさわしいらしい。女は、生まれもっての女優というもんな。
もう、遠い日の話に思えるけれど、まだあれから1年と少しの歳月しか流れていないというのが、とても信じられなかった。
それだけ、色々なコトがありすぎた。
あの頃のオレに、どれだけの未来の破滅っぷりを話して聞かせてやっても、笑って相手にすらしないだろう。
いんやオレのコトだ。逆上して殴りかかってくるかもしれん。
幸せだった。
失って初めて気付くというけれど、失わなくても、今自分が幸せのど真ん中にいてるコトを実感できるくらい、オレは幸せだった。

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