>  > 我が子を殺し、無期懲役囚となった母親──だが、それがすべて冤罪だったとしたら!?
元極道の異色作家・沖田臥竜のニュース解説  「プロ」はニュースはこう読む!

我が子を殺し、無期懲役囚となった母親──だが、それがすべて冤罪だったとしたら!?

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1995年、大阪市で女の子(当時11)が死亡した放火殺人事件などの罪に問われ、服役中に大阪高裁で裁判のやり直しが認められた母親のAさんとAさんの内縁の夫Bさんが刑の停止を認められ、20年ぶりに釈放されました。元被告2人は、26日午後2時に刑の執行が止められて釈放される見通しです。Aさんは「難しいと思いますが、これから少しずつ失った20年を取り戻したい」と語っています。


これは何重もの悲劇が重なった事件だ


 真実というのは、本人にしかわからない。

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写真はイメージです

 ある日突然、子供を失い、やり場のない哀しみに打ちひしがれているうちに、今度は"我が子を殺した罪"で自分が逮捕されてしまう。こんな境遇を、誰が想像する事ができるであろうか。

 私なら、多分、(......もう好きにしろ)、と投げやりになってしまうと思う。子供を失ったという喪失感、なおかつ、その死の罪まで問われたとすれば、もう戦っていく意欲などなくなってしまい、心を閉ざしてしまうのではないか、と思う。汚名を晴らすために戦う気力があるか、私には自信がない。

 獄中にあった20年という月日の中で、失ったものは時間だけではないはずだ。我が子を失った哀しみにひたる事も許されず、子殺しの汚名を受けて精神的に追い詰められ、社会的立場を剥奪され、無期懲役という絶望を与えられる。繰り返すようだが、真実というのは、本人にしかわからない。だが、実際に大阪高裁が裁判のやり直しを命じた以上、冤罪の可能性はきわめて高いはずだ。そして、本当に冤罪であったとしたら、いまさら「間違いでした......」で済まされる話ではない。

 いったいどうして、こういう状況になってしまったのだろうか。

 警察署内の陽の光のささない密室の取り調べ中に、事実を覆し自供へと追い込んでいったというのであれば、その取り調べ官も立派な犯罪者だろう。

 警察の言うままに、そんな調書を証拠として採用した検察官や裁判官は今ごろ何をしているのか。そもそも自分の足で捜査をしない検察官は裁判に必要なのか。

 確かに当局サイドのいわんとしている事も分かる。死刑に値する大罪を犯した者が、裁判の中で命惜しさにそれまでの供述を覆し、いきなり無罪を訴え出す者も確かにいないわけではない。100%冤罪をなくす事はできない。そこに人が人を裁く事の限界がある。

 だが、AさんやBさんの自白の信ぴょう性や、それが強要されたものかどうかなど、検察官はもっと誠実に向き合うことができたのではないか。2人が逮捕されたのは95年7月、その後、2006年の11月まで裁判で争い、無期懲役が確定している。つまり11年も調べる時間はあったのだから。

 事件発生から20年経った今になって、なぜ判決は覆ったのか。覆すためには、20年もの月日が必要だったのか。そうではあるまい。

 ともあれ検察官には、真相を明らかにしてほしいが、1人の小学生の娘さんが亡くなってしまった事には変わりない。それが哀しい。




沖田臥竜
兵庫県尼崎市出身。日本最大の暴力団組織二次団体の元最高幹部。前科8犯。21歳から29歳までの8年間服役。その出所後わずか半年で逮捕され、30歳から34歳までまた4年間服役と、通算12年間を獄中で過ごす(うち9年間は独居)。現在、本サイトで小説『死に体』を好評連載中。