>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑬ ~ふたつの総本部~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑬ ~ふたつの総本部~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


淡路市に本部を構えた理由とは!?


 六代目山口組から別れた神戸山口組は総本部を兵庫県淡路市に構えた。もともとは侠友会の本部である。淡路市は兵庫県南部にある淡路島の北端から中央部にかけて位置し、島の北側三分の一を占める(南側は洲本市)。人口は約52000人。漁港や海水浴場も多く、自然豊かな、大変すばらしい土地である。

 神戸山口組組長が組内最大人数の山健組を率いていることから考えると、神戸山口組の総本部は神戸市内の山健組事務所にしたほうがいいのではないかという考え方もあるが、山健組事務所の周辺には住宅や商店なども多く、また離脱分裂騒動により当局の警備体制の強化、マスコミなど取材関係者のひんぱんな往来などから山健組事務所を神戸山口組総本部として使用することは「近隣住民に迷惑がかかる」ので、神戸山口組の総本部は現在の淡路市とされた。

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広い私有地の向こうにポツンと見える侠友会本部事務所 ©google 2015

 侠友会本部でもある神戸山口組総本部は、侠友会本部時代から淡路市民にその存在をほとんど知られてはいない人里離れた場所にある。通りから奥まった場所で、垣間見ることも簡単には出来ない場所にある。周辺に住宅もなく、完全に孤高状態。前の道は、本部に用事がある人ぐらいしか使用しないような静かな道である。淡路市民ですらその場所をあまり知らないというのも頷けるような場所である。

 確かにここが総本部なら、近隣住民に迷惑がかかることは少ない。当局の警備体制が強化され関係車輌が往来したり、マスコミが張り付いていたとしても、近隣住民の迷惑になる事は考えにくい。

 裏を返せば、それらは監視がしやすい、ということでもある。すでに記した通り、近隣の往来が極端に少ないため、神戸山口組総本部に入るする車輌や人間を捜査当局が確認しやすいのである。神戸山口組の当番組員が周辺の監視をしやすい建物である、というメリットも当然あるが、それ以上にここは警察が監視しやすい暴力団の事務所なのである。

 要するに、神戸山口組が淡路市に総本部を設置したのは何よりも「近隣住民への配慮」を考えてのことなのだ。

 近隣住民への配慮は本部住所だけではなく、各幹部各組員たちの行動にも及んでいる。神戸山口組では近隣住民への配慮、世間様への配慮を考慮して、総本部に詰める、常に集まる、縦一列になって車で本部に乗り付けるなどの行為を遠慮している。ひとことで言ってしまえば、皆あまり総本部には行ってはいない。どこの建物であろうが、急にヤクザの往来が増えたら、いくら人里離れた場所にあるとはいえ市民に迷惑がかかることもあるかも知れないので、神戸山口組々員たちはあまり総本部に集結したりはしてはいないのが実情だ。

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六代目山口組の会合写真 KYODO NEWSより(リンク

(編集部注 ここまで書かれていることは、六代目山口組の会合と神戸山口組の会合のマスコミ報道を見比べれば一目瞭然である。右が8月31日に行われた六代目山口組の会合の写真、左が9月4日に行われた神戸山口組の会合の写真なのだが、確かに六代目山口組の会合は各直参組長の乗った車がガレージの中まで乗り付けているのに比べ、神戸山口組の会合では、わずかなお付の人間を連れた幹部組員が徒歩で建物入りしている。

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神戸山口組の会合写真 KYODO NEWSより(リンク

ここまで露骨に違う、ということは、「神戸山口組側では、あえて意図的、戦略的にそうしている」と考えるほうが自然だろう。なお比較対象がしやすいように、どちらも同じ共同通信社の動画配信ニュースから引用した)