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生類憐みの令の「妄言電磁波アワー」

確信犯的に制作された「ブレンディ」卒牛式CMにみる現代日本の暗闇

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時空を超えてやってきた使者の言霊か、はたまた電磁波を浴びた脳から生み出される妄想か、突如編集部に投稿してきた舌鋒鋭い正体不明のコメンター、その名も「生類憐みの令」氏の電気的メッセージを浴びよ。(R-ZONE編集部)


このCMが「気持ち悪い」と嫌悪される理由

 ブレンデイのWeb限定ムービー"卒牛式"の炎上問題。現在ではブレンディ製品を扱っているAGFグループのサイトからもニュースリリースのみで、実際の動画が削除されている程「気持ち悪い」と話題のコマーシャルムービーだ。既に視た方も多いだろう。

 ネットでの反応としては「こんなに気持ち悪いCMは初めて」と、総じて批判的であるが、議論されている内容を分析してみるとおおよそ次のとおり。

・主人公が女子高生ということで、女子高生をセックスアイコンにしている日本社会の象徴となっている。
・血気盛んな男は闘牛場へおくられる結末は、戦場へ向かう徴兵制を想起させる。
・肉屋へおくられる劣等生は、選民思想を意識させる。
・生徒が名前ではなくナンバーで呼ばれていることが、もうすぐ施行されるマイナンバー制を彷彿させ管理社会への不安と不満

 そもそもこのCMは2014年秋に公開されているが、日本国内でバッシングが始まったのではなく、海外で公開され話題となり、you tubeにアップされたことにより日本国内で酷評されることになった作品。

 製作側のAGFとしては下記のようなコンセプトでつくったことを明らかにしている。
■牛達がそれぞれの想い胸に巣立つ姿を、驚愕の映像化!〈"旅立ち"篇〉ストーリー
 舞台は牛の学園の卒"牛"式(卒業式)。女優の夏居瑠奈さんが演じる主人公"ウシ子"は努力を惜しまない真面目な女子校生(牛)。
 校長の卒"牛"証書授与の声とともに、生徒達(牛達)の進路が次々と発表されていきます。
 "ウシ子"の親友"ハナ子"は見事動物園へ、続く生徒達もロデオパークや闘牛場などへと進路が決定していきます。
 自分の望み通りの道を歩める牛も、そうでない牛もいるという現実。そんな中、誰よりも努力をしてきた"ウシ子"の進路が決定する瞬間がついにやってきます。
 果たして校長から発表された進路は!? 涙溢れる感動のラストシーンを是非ご覧下さい。

 お解りのように、製作側は涙あふれる感動のラストシーンを描いたつもりのようだが、視る側からは全くそうは受け取られていない。この温度差は、なぜ発生しているのだろうか。バッシングの内容を一つずつひも解いていってみよう。


なぜ批判がおこるのかわからない

 まず、女子高生をセックスシンボルとして描いているという批判。
 これは、いうもなかれ日本だけではなく、世界をみても若い女性をセックスシンボルとする傾向は根強いはず。日本の場合は制服やコスプレなど色々な事情が入り混じり、何十年も前から女子高生はセックスシンボルとして君臨してきているような気がする。ただ、セックスシンボルとして掲げるには、求める側の一方的な欲求だけでは成立しない。それこそ何十年も前から、女子高生側も小遣い稼ぎなどでの目的で自分達が性的ターゲットになることに応えてきたのではないだろうか。
 今の日本ではかつてない程犯罪行為が増えており、そのターゲットに女子高生など成人未満の女性が狙われているという状況は、確かに存在する。しかし、それは今回のように女子高生をセックスシンボルとして描いているからだろうか。それも一理あるかもしれないが、決してそれが一番の理由ではない気がする。だとしたら、この批判は単なる言いがかりに過ぎない。


 次に、闘牛場が戦場への徴兵制度を想起させる点。誰がどう考えても、戦争は、してはいけないものである。しかし、原爆を落とされて大勢の尊い命を失い、"お国のために"と将来有望な若い命が散っていった戦争を経験した日本でさえも、戦争に関する今までの憲法解釈を変えても良いという意見が確かに存在している。
 わたしとしてはよく解らない。これだけ、人や国などと戦う「戦闘ゲーム」を楽しそうにしている国民が"徴兵制への連想はダメ"という理由が。実際の戦争はダメなのに、ゲームの中では問題ないのか。3Dに飽き足らず、通信にして人と戦い、相手を倒し勝ち上がっていくゲームを子供の頃からするのを許しているのに、今更何を言うのか。
 だったら、戦いというものを全て批判し、関わっていない人々の方がよっぽど筋が通っている。


 劣等生が"田中ビーフ"に配属されて食肉とされてしまう選民思想はどうか。
 きれいごとを抜きにして考えてみてほしい。牛肉は、我々の生活と密着している。「上を向いて歩こう」が"スキヤキソング"と呼ばれたように、日本の近代化の裏には食の発展もあり、牛肉も一役買ってきたはずだ。そして、牛肉の裏側には肉牛の犠牲がある。そして、高級牛肉というのは非常に高い価値を与えられて世に出回っているのではないだろうか。では、品質に劣る牛肉はどのような結末をたどるのか。さらに、牛肉として世に出ることも許されないほどの場合には、どうなっているのか。
 自分達が日頃から自然に行っている優劣に関する選択を、なぜ、表だって表現されてしまうと批判するのか。このCMを選民思想と捉える人々というのは、実はそう考えるその人が選民的な考え方をしやすいだけであり、さらに自分が多くの動物たちの犠牲によって生かされているという真実から目を反らしているだけではないだろうか。
 なるほど、確かにカフェオレ=ミルク=乳牛であり"田中ビーフ"の描写は必要ないのかもしれない。しかしご存知だろうか。乳牛だって、病気や加齢などでその働きを遂げることが出来なければ、殺処分されてしまうのだ。
 牛を飼育するには非常に費用がかかる。だから、目的どおりに仕事が出来なくなり稼ぎ出すことが出来なくなれば、そのまま生かしておくことは出来ないという訳だ。それが現実である。

 
 最後に、ナンバー管理されそうになっている現実。確かに、マイナンバー制度が始まり国民が番号管理される時代が到来しているが、これは、十年以上前から想定されていたことである。しかも、行政手続きを何度も行っている人ならお解りのとおり、全ての手続きにおいて統一した番号で識別してもらえるということは、事務手続きの簡略化に大きく貢献してくれる。
 しかも、一人一人に番号が振られるということ自体、何十年も前から行われてきたことだ。ものすごく平たくいえば、医療保険の被保険者番号もそうだし、戸籍や住民票に載っている番号だって同じことだ。
 それなのに、番号を統一するというだけでなぜそこまで批判するのか。不安があるのは解るが、始まってもいないのに批判ばかりする人間というのは、どんなに議論して「これで大丈夫!」という状態で始めたとしても、何かあればすぐに批判をする者だ。正直、それでいいのだろうか。


 このムービーは、卒業式という感動的なシチュエーションをなぞっただけで"感動"とうたっているのではなく、そこにはもっと深いメッセージが込められているのだという視点でみることにより、初めて意味を成すものなのではないだろうか。
 もちろん、こういった議論が起こることだって製作側としては当然想定内のことだろう。だからこそ、製作者側の意図を正しく把握し、今の世の中で起こっていることに対して問題意識を持ち皆で議論を交わすことによって、想定どおりに議論することは大切なことかもしれない。

 一番恐ろしいのは、普通に生活していながらも多くの差別や偏見を行いながら、それに気が付いていないことだ。このCMは、自分の奥底の闇と向き合うのに最適な素材なのかもしれない。


(文=生類憐みの令)