>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その② ~分裂Ⅱ~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その② ~分裂Ⅱ~

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一枚岩の結束を誇っていたはずに山口組がこの8月に分裂してしまったのは偶然なのか、それとも必然だったのか。山口組の事情に詳しい藤原良氏の連載2回目となる今回は、山口組の団結に亀裂が走った「ある出来事」について解説していただきます。


分裂にいたるまでの「伏線」


「舎弟言うんは、叔父貴って言やぁ聞こえもええが、実際は跡目からは外されたんや」

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『六代目山口組10年史』メディアックス

 盃に於ける舎弟格とは、親分の弟である。子分たちからは「叔父貴」と呼ばれ威厳もあるが「親分の跡目は子分から」という決まり事により、特殊なケースを除いて舎弟が跡目を継ぐ事はない。舎弟は子分の中から跡目を推薦する事はできる。しかし、自らが跡目に就く事はまずない。

 そして舎弟を長とする団体に参加している若衆にも、筋道としては同じ事が言える。さらに、舎弟という「叔父貴」は、格で言えば"親戚のおじさん"でしかないために、本家の運営に参加する事が難しい。本家運営は親分以下若頭及び若頭補佐たちによる執行部で運営される。
 
 盃格と役職格についてもう少し解説する。現在のヤクザ組織には「盃による関係序列」と「(運営組織という)役職による序列」の2本が存在している。組内のトップである親分の弟という「盃による関係序列」と、組の中での役職名が"舎弟"という「役職による序列」の2つである。

 舎弟盃は親分の弟という盃であるがために当然に重い意味を持つ盃である。が、役職も"舎弟"となると、今度は盃の性格が重要視されて同じ組内でも親戚色が強まり、本家運営に関わる事が出来なくなる。

 はっきり言えば、"舎弟"とは役職ナシのことであり、"舎弟"は舎弟でしかなく、無役職であるが故に組織運営とは無縁だ、と理解してもいい。当然、跡目候補からも外される。かりに"舎弟"として執行部の運営に物申す際は、あくまでも親戚のおじさんとしてのアドバイス程度でしかない。

 "舎弟"であるにも関わらず本家運営に役職として参加を許された場合には「副組長」「副長」「組長代行」「顧問」という役職ポストが用意される。この場合は舎弟の盃を持っていたとしても役職が副組長・副長・組長代行・顧問であるために本家運営に執行部メンバーとして正式に参加できる。"舎弟"のみか、それとも"舎弟"でありながら副組長である、とするかは組織の状況によって決定付けられる事が多い。ようするに、そうしておいたほうが組のためだと判断された場合によるのである。

 顧問は除いて、副組長・副長・組長代行の場合は、盃も重く、役職は組長に次ぐナンバー2であるため、活動の功績によっては時として組長に代わって組の長の責務にあたる場合もあれば、次期組長候補としてしっかりと名を連ねる事も出来る。つまり、若頭と並んで跡目を継ぐ権利を持つ。

 副組長・副長・組長代行・若頭の他にも本家運営に強い影響力を持ち、跡目候補に名を連ねられるのは「本部長」「理事長」「若頭補佐」「理事長補佐」と呼ばれる役職である。若頭・本部長・理事長を3役と呼んで特別視する習慣がヤクザ社会には強くある。

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『五代目山口組 宅見勝若頭の生涯』メディアックス

 六代目山口組では理事長職はなく、若頭、本部長、統括委員長、若頭補佐という役職で執行部が運営されている。その中で、このたび山健組と共に執行部から離脱したのが「宅見組」である。

 先代の五代目時代には若頭を務め、六代目時代になってからは本部長という大任を担ってきた宅見組が離脱した。六代目山口組にとっては、過去、三代目時代に若頭を務めており六代目時代に若頭補佐に就いていた山健組と五代目時代の若頭で六代目時代に本部長だった宅見組の離脱は組織的に大きなダメージである。山口組史の中で、常に骨であり軸であった2つの組が離脱したという事実は重い。

 宅見組は離脱前、六代目発足当時から務めていた本部長を解任されて、舎弟にされた。宅見組の本部長解任と同時に大原組が現本部長となった。宅見組と同時に執行部から離脱した六代目若頭補佐・侠友会も離脱前に若頭補佐を解任されて舎弟にされた。また、六代目山口組若頭補佐の正木組も若頭補佐を解任されて舎弟にされた。池田組については六代目山口組若頭補佐であり中国四国ブロック長まで務めていたがすべてを解任されて舎弟にされた。

 山健組はもちろん宅見、侠友、正木、池田と錚々たる重鎮たちが、執行部職を解任されて舎弟という"親戚のおじさん"にされた。本家運営は言うまでもなく、跡目候補からも外されたのである。しかもそれは、名古屋・三代目弘道会が若頭補佐として執行部入りし中部ブロック長に就いたのとほぼ同じタイミングであった。
 
 六代目発足当時、長期服役を余儀なくされた山口組六代目が、出所後、かねてから抱いていた本来の六代目山口組体制を出所後の今、作っただけなのかも知れない。五代目以前の山口組気質を一掃して、新しい六代目山口組を作っただけなのかも知れない。六代目発足当時から続く「名古屋支配の配置が完成の局面」を迎えているだけなのかも知れない。それが組織の長として、当然の人事采配なのかも知れない。それに不満を持つ者は「出て行け」となるのは当たり前なのかも知れない。だとしたら、そこに不満を持ったので「出て行く」というのも、これもまた自然な事なのかも知れない。

 六代目山口組から離脱した各組は、山健組、宅見組、侠友会、正木組、池田組という大幹部クラスで、他に、毛利組(六代目総本部事務局長)、黒誠会(六代目総本部事務局次長)、松下組(六代目幹部)、西脇組(組織委員)、奥浦組、真鍋組、雄成会、大志会などである。六代目時代に組織運営に関係する役職に就いていた組もあれば、先代時代の舎弟格や顧問職を務めていた組もある。

 今回の離脱分裂劇は、決して突発的な状況ではない。六代目発足当時からあった小さな黒点が沸々と大きくなり、まるでマグマが噴き出したが如く、現在の状況を作り上げた。では、その六代目発足当時の黒点とは何か?