>  > 日本のヤクザ者たちよ、いまが原点に戻るラストチャンスだ
山口組分裂の原点を探る! 日本のヤクザ社会に今、何が起きているのか!?

日本のヤクザ者たちよ、いまが原点に戻るラストチャンスだ

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

塀の中で学んだこと、出会った友

──獄中では、ご病気もされていますね。

高田 はい、一度目の癌の手術は刑務所の病院でした。妻も服役中に亡くなっています。これらのことは堪えましたね。

takadayozaon04.jpg

 懲役を「大学」「別荘」などと表現することもありますが、私も多くのことを学びました。

 たとえば、神戸刑務所に服役する直前に山口組の田岡一雄三代目が亡くなり、山一抗争が起こっています。所内の山口組関係者に衝撃が走り、対立が激化しました。刑務作業を行う工場では、山口組と一和会の者による傷害事件も起こっています。昨日まで同門だった者たちが急にいがみ合うのを見るのは、複雑な気持ちでしたね。組織とは、ヤクザとは、何なのか。答えを探すためにたくさんの書物にもふれました。

──宮城刑務所では、過激派のリーダーだった鎌田俊彦氏との出会いがあったそうですね。

高田 今の若い人たちは知らないでしょうが、1960年代から70年代にかけての日本では学生運動が盛んで、テロ事件もたくさん起こっていました。その中で、71年のクリスマスイブに東京・新宿の交番にクリスマスツリーに擬した爆弾がしかけられ、警察官が片足切断、通りがかった市民6人が重軽傷を負う事件が起こります。当然ながら大騒ぎになりましたが、「新宿の母」という占い師も近くで鑑定をしていて、事情聴取を受けたそうです。

 鎌田さんは、このクリスマスツリー爆弾をしかけたグループのリーダーで、無期懲役の判決を受けて宮城刑務所に服役していたのです。私より2歳年上で、知り合った時はすでに還暦を迎えていました。

 禅僧のように哲学的で物静かな鎌田氏と私が友人になるのに時間はかかりませんでした。左翼なので、考え方は正反対、読んでいる本の志向もまったく違っていたのですが、逆にいろいろな話ができました。私は彼の影響で塩野七生の『ローマ人の物語』を読み、果てはフランシス・ウィーンの『カール・マルクスの生涯』も読破し、非常に知的な刺激を受けました。

──そういう存在は、塀の中では浮くのではないでしょうか?

takadayozaon15.jpg

高田 私たちは相当変わり者だと思われていたようで、ある人から「鎌田なんかと付き合うな」と言われたこともあります。でも、特に意に介しませんでした。

 また、鎌田氏は俳句、私は短歌を詠んでいたので、時折それを披露しあっていました。

 現在、いわゆる「実話系」とよばれるヤクザ雑誌は「暴力団」を「称揚する」媒体であるとして閲覧を禁じている施設がほとんどなのですが、私が服役していた頃は、まだヤクザ雑誌を読むことができました。知的な媒体とは言いませんが、組織のために懲役に行く者がほとんどなのですから、これら情報誌まで取り上げるのは問題があると思います。

 一方で、こうしたメディアで大物ヤクザの動静を知り、それをあたかも自分に関係があるように語っているハンパなヤクザ者も少なくありませんでした。しかも、こういう者に限って品がないし、他の者を威圧するように振る舞う姿がしゃくにさわるので、戯れ歌を詠んだりしていました。

  工場を我がもの顔で闊歩する俄(にわ)かヤクザの安蒲鉾(かまぼこ)

 安い蒲鉾には板がついていないことにかけて、知ったかぶりをするヤクザ者が薄っぺらいことを揶揄したのですが、鎌田さんにはウケていました。

 また、同じく宮城刑務所に服役していた大阪・堺の東組清勇会の川口和秀会長も「男の中の男」といえます。

 川口氏は、子分の発砲によって一般人が射殺されたことで、指示をしていないにもかかわらず殺人教唆の罪などで逮捕起訴され、23年余りを獄中で過ごしました。現在は出所して清勇会会長として活躍されています。

 鎌田氏を含めて無期懲役囚たちは、仮釈放を認めてもらうために、おとなしくするしかないのですが、看守たちはそれにつけこんで暴言を吐き、差し入れや手紙の発信などに難癖をつけて認めないなど、やりたい放題です。

 あまりにもひどいので、鎌田氏と私は刑務官の暴力に立ち向かい、相次ぐ暴行事件を告発することにしました。そこに川口さんも加勢してくれたのです。

 残念ながらこの刑事告発は不起訴となり、私はその意趣返しのような形で1年半にわたって独房暮らしを強いられました。しかし、『サンデー毎日』や『実話時報』がこの事実を報道し、警備隊長の理由なき暴行により体に障害を受けた元受刑者3名が、NPO法人監獄人権センターに連絡し、国家賠償請求訴訟を起こしました。

takadayozaon06.jpg

 2009年9月、東京高裁の山崎恒裁判長は、元受刑者らの証言などから刑務官の暴行を認定、「公務員の職務執行での違法行為に当たる」とした一審判決をほぼ支持、「訴えは虚偽の可能性がある」とした国の主張を退けて、元受刑者側が勝訴したのです。 この警備隊長の刑事責任を問いたかったのですが、それはかないませんでした。でも、この裁判では多くの方からのご支援をいただいています。

 その後、川口氏と私は生きて刑務所を出られましたが、鎌田氏たちはまだ獄中にあり、心配しています。

 このように、塀の中ではヤクザと左翼が協力して敵(権力)と対峙することも、たまにはあるのです。

──どこの刑務所も常に定員オーバーのため、トラブルが絶えないと聞いています。もちろん笑えるエピソードもありますね。

高田 おかしなこともたくさんありましたね。あんまりネタバレするのは困るんだけど(笑)、たとえば宮城刑務所で知り合った強盗団のメンバーは、こともあろうに私の家にタタキ(強盗)に入ろうとしていたと聞きました。

「和風の大きな家があったので、近所で評判を聞いたら『あそこはヤクザの親分の家で、みんな怖がっている』と聞いてやめました」と言うんです。「入らなくてよかったなー。殺されてたぞ」って言ったら、「やっぱりきちんと下調べをしてから(強盗に)入らなくてはダメですね」と、ビビッていました。鎌田さんは大爆笑していましたよ。