〜第五章まで〜
シャブ中仲間の裏切りにより覚醒剤使用で再逮捕。精神病院から刑務所での懲役生活を終えてシャバに戻った玲子を待っていたのは、どこに行くにもつきまとう両親からの監視の目だった。しかし旧友やママ友から励まされ、過去の過ちを告白した自分を受け入れてもらえた時、母との確執、そして将来の生活を考えて下した決断は「独り立ち」すること。最愛の子どもを残していくことだけが心残りだったが、人生を再生するため、玲子は再び東京へ向かう決心をしたのだった。
<最終章15 不安のスパイラル>
全力を出し尽くした果てに
二時間の試験時間が終わった。
エネルギーを使い果たしたあたしが机に突っ伏していると、前回と同じく、グループ受験生たちの即席で答え合わせをする声が耳に入った。
だが前回と違ったのは、その答え合わせの解答が、あたしのマークした答えとほとんど同じだったこと。
ときどき違う答えも耳に入ったけれど、不安になることはなかった。むしろ、聞こえてくる答えの間違いを、理由とともに思い浮かべることができた。
今回は、自信があった。
アパートに戻ってから、答え合わせをしてみると、余裕でクリアの得点になった。
──今度こそ合格だ!
それでも、二カ月間は長かった。アルバイトをしながら合否発表を待つ間に、何度も不安がよぎった。
いつかの夜と同じように、夜中に不安が高まって、布団から起き出して答え合わせをやり直し、どうにか不安を鎮める日もあった。次の日はレジに立ちながら、何度もあくびをかみ殺すことになった。
二カ月の間に、あたしは十回は答え合わせをやり直した。
かなり厳しく採点してみたりもしたけれど、それでも七十点の合格ラインはクリアしていたから、相当なミスを見逃してさえいなければ、合格しているはずだった。
でも、完全に不安を打ち消すことはできなかった。
──これが最後のチャレンジ。
そんな気持ちが重圧になっていたのだろう。
あたしは発表を待つ間、バイトをしながら同時に福祉住環境コーディネーターの仕事に関する情報を集めた。登録先となる介護事務所や市町村の窓口を調べて、どこがいいのかを検討した。
住宅メーカーがバリアフリー住宅のモデルハウスを展示していると聞けば、見学に行ったりもした。
──お年寄りや体の不自由な人たちを、苦労して身につけた知識で手助けできる。
情報を集めれば集めるほど、一日でも早く仕事をしたいという気持ちが高まった。
実家への仕送りや生活費も心配だったけれど、純粋に、単純に、コーディネーターとして働きたいという気持ちが高まった。
でも、そうしながらも、あたしはもう一方で求人雑誌を定期的に買っていた。
腰にそれほど負担がかからなくて、なおかつ長距離トラック時代と同じくらいの収入を得られる仕事を探すために。
合格してからのことと、不合格だったときのことを、同時に考えて、両方に備え、引き裂かれそうな気持ちで日々を過ごした。
そして、試験の日から二カ月後、二度目の合否発表の日が来た。
(つづく)

合格と不合格の狭間で引き裂かれるような時間を過ごした
(取材/文=石原行雄)
石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/