〜第五章まで〜
シャブ中仲間の裏切りにより覚醒剤使用で再逮捕。精神病院から刑務所での懲役生活を終えてシャバに戻った玲子を待っていたのは、どこに行くにもつきまとう両親からの監視の目だった。しかし旧友やママ友から励まされ、過去の過ちを告白した自分を受け入れてもらえた時、母との確執、そして将来の生活を考えて下した決断は「独り立ち」すること。最愛の子どもを残していくことだけが心残りだったが、人生を再生するため、玲子は再び東京へ向かう決心をしたのだった。
<最終章3 本当にやりたい事を>
そして再び、腰に鋭い痛みが......
東京で働きはじめてしばらくすると、持病の腰痛が再発した。
病院に行くと、「腰骨の一部が粉砕骨折している」と診断された。
医者には「骨折しているのはほんの一部分で、しばらく安静にしていれば治る」とは言われたけれど、「骨自体が脆くなっているので、生活を根本から変えないと何度でも繰り返して、そのうちに治療の困難な部位に大きな骨折を起こす可能性が高い」とも言われた。
働きすぎが祟ったのだろう。
長距離トラックの仕事は、運転席に座ったままの姿勢が続くし、重い荷物の上げ降ろしもするので、腰への負担は大きい。
それと「覚醒剤の後遺症」。骨が弱ってもいるのだろう。
刑務所でハナさんも言っていた。「シャブ中の亡骸は火葬にすると、まともな骨がほとんど残らずボロボロの粉みたいな骨しか残らないんだ」と。それほど骨に悪影響があるのだと......。
──でも、だからなんだって言うの?
再発した腰痛が覚醒剤の後遺症なら、それは自業自得というもの。
やってしまった過去を悔やんでも、仕方のないこと。
過ぎたことをとやかく言ってもはじまらない。
今はもう、「二度と覚醒剤は使いたくない」と思うだけ。「二度と手を出さない」、そう誓う気持ちを大切にするだけだ。
それよりも考えるべきことがあった。
腰の痛みは日に日に酷くなっていた。もう、これ以上、長距離トラックの仕事を続けることはできない。
腰をコルセットで固定して、ベッドの上で静かに過ごした。
......でも、ここで腰痛をやり過ごしても、またいつか再発するはず。
腰痛が癖になっているうえに、腰に負担のかかる仕事をしていれば、なおさらだ。
ときどき腰に走る鋭い痛みに耐えながら、じっと動かず天井を見つめて、いろいろなことを考えた。
そして考えた末に、ひとつの結論に達した。
──仕事を変えよう。
これを機に、「できること」ではなく、「やりたいこと」をやろう。そう決心した。
腰痛の再発が後押ししてくれた。
いいきっかけだと無理矢理にでも考えることにした。
あたしが本当にやりたい仕事──それは介護福祉の仕事。
現場を離れてから、もう何年も経ってしまったけれど、やっぱり医療や介護の仕事にこだわりがあった。
世の中には、助けを必要とする人がいる。
少しでもいい、できることなら、そんな人たちの助けになりたい。
覚醒剤をやって、そのせいでたくさんの嫌な思いもしたけれど、たくさんの人たちに支えられて助けられもした。
自分で味わってみて、本当に助けを必要としている人がいることを実感した。
助けを必要としている人たちの、切実な思いを知った。
今度は、あたしが助ける番だ。
(つづく)

骨がもろくなっているのも自業自得...言い訳にするつもりはなかった
(取材/文=石原行雄)
石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/