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その女が注射器を捨てるまで 第100話

母とのいろいろな思い出...そして過保護からの卒業

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〜第四章まで〜
 シャブ中仲間の裏切りにより覚醒剤使用で再逮捕。体を治すためと連れられた先は精神病院だった。抗えば抗うほど「患者」扱いされ隔離病棟で大量の精神薬を投与される毎日。無気力化された日々の中で、自分の鏡を見るようなシャブ中患者に囲まれ、刑を受ける事でしかこのどん底から抜けられない事を悟った玲子は、刑務所での懲役生活を決意。そして二年二ヶ月に及ぶ刑務所暮らしを経て、とうとう仮釈放を迎えシャバに出たのだった。


<第五章15 旅立ち>

再び東京へ

 翌日の夕食後、父と母に東京行きの話をした。

「働いて独り立ちする」という意思を伝えた。


 思ったとおり、両親は認めてくれなかった。

「お願いだから、もうお父さんとお母さんを困らせないで!」

 母は涙を流して訴えた。

 それでも、あたしは家を出る準備をした。
 東京に電話をかけて仕事開始の日程や段取りを決め、着替えや身の回りのものを詰めて荷造りをし、そして父と母に宛てて置き手紙を書いた。

 すんなりと認めてもらえるとは思っていなかった。
 だから、そっと出ていくことにした。
 そんなことをすれば、さらに親の信頼が下がることはわかっていた。
 それでも、いつか必ずわかってもらえると信じて準備をした。


 実行の日、登校前の子供にだけ「今夜から行くよ」と別れを言った。子供はなんでもない顔をして聞いていた。

 そして、昼間はおとなしく過ごし、夜、友達のクルマで隣町のターミナル駅まで送ってもらった。

 重くなりがちな空気を気遣ってくれるのか、駅に向かうクルマの中ではハンドルを握る友達が、おちゃらけた口調でしゃべり続けた。

「なんだか昼ドラかレディコミっぽくない? 夜の逃避行って感じで」

 逃避行。

 やり方の荒っぽさは似ているけれど、でも目的はまったく逆。逃げるんじゃなくて、親や子供と真っ正面から向き合えるよう、その力をつけるために東京に行くんだ。

 他愛もない話のあと、友達がぽつりと言った。

「まっ、レイ子のお母さん、厳しいところあるからね......」

 だから、子供の頃はあたしのうちに遊びに来ると、少し緊張したという。

「でも、過保護でもあるんだよね。厳しいのに過保護で、なんか不思議な気もしたよ」

「過保護かな?」

「過保護だよ」

 小さい頃からいろいろなものを買ってもらっていたことや、連れ立ってよく出かけていたことを指摘して、

「仲がいいし、なんだかんだでかまってもらってて、だから羨ましかったさ」

 まじめな声で言った。

 そう。楽しかったこと、うれしかったこと、教えられたこと、救われたこと......。あたしにも母との素敵な思い出が、たくさんある。

 ちょっと前までは嫌なことだけしか思い出せなかったのに。

 悪い思い込みだった。
 今なら母とのいい思い出もたくさん思い出せる。

 人家の明かりや街灯の少ない夜の田舎道を走り抜けながら、揺れるクルマの助手席でいろんなことを思い出し、甘酸っぱい気持ちになった。


 三十分ほどで駅に着いた。

「じゃ、またね」

「うん、東京に着いたら電話するよ」

 友達とは、普段のように軽い挨拶で別れた。
 湿っぽくて重い別れは、不似合いだった。

 あたしは東京へ、やり直しに行くのだから。

 あたしは顔を上げて前を見て、上野駅終着の夜行列車に乗り込んだ。


(第五章 完)



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人生を再生するために...



(取材/文=石原行雄)


石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/