〜第四章まで〜
シャブ中仲間の裏切りにより覚醒剤使用で再逮捕。体を治すためと連れられた先は精神病院だった。抗えば抗うほど「患者」扱いされ隔離病棟で大量の精神薬を投与される毎日。無気力化された日々の中で、自分の鏡を見るようなシャブ中患者に囲まれ、刑を受ける事でしかこのどん底から抜けられない事を悟った玲子は、刑務所での懲役生活を決意。そして二年二ヶ月に及ぶ刑務所暮らしを経て、とうとう仮釈放を迎えシャバに出たのだった。
<第五章10 心配の種>
仲間への裏切りは許されないこと
頻繁に外出するようになって、あたしの交友関係は急速に広がった。
体育館が閉まる頃になると、子供の友達のお母さんたちが迎えに来たので、帰りがけにときどき一緒にファミリーレストランでお茶をするようになった。
あたしにも新しく友達と呼べる存在ができた。
友達の多い我が子のおかげだ。
ママ友との雑談は、それが家庭の愚痴であっても、あたしにとっては別世界の新鮮な話題ばかりで、聞いていて飽きなかった。ちょっとしたことにも大げさに喜んだり猛烈に憤ったりと、感情表現の豊かなところも魅力的に映った。
学校が終わったら子供たちから力をもらい、そのあとはママ友から力をもらう日々。
枯れかけていたあたしは、周りの人たちから生命力をお裾分けしてもらい、少しずつ生きる気力を取り戻していった。
実家に閉じこもっていた頃が嘘のように、毎日が楽しくなった。
あっという間に一日が終わり、子供の寝顔を眺めながら、明日が来るのを待ち遠しく感じるまでになった。
そんな中で、ひとつだけ心配なことがあった。
「友達」と言うからには、あたしのことをちゃんと話して、知ってもらわないといけない。そう思っていた。
覚醒剤を使っていたこと、そのせいで逮捕されたこと。
子供の学校では気を遣ってくれて、「長期の出稼ぎに行っていた」ということになっているけれど、本当は刑務所に入っていたことも。
ママ友との仲が深まれば深まるほど、そのことを話さなくてはいけないと思うようになった。ママ友とは知り合ったばかりで、その中にあたしの過去を知る人はいない。
でも、だからこそ、あたしの口から言わないと......。
知られるのは恐かった。
友達が離れてしまうのも恐かったけれど、それよりも、話すことで子供が学校でイジメに遭ったり仲間外れにされるかも知れないのが恐かった。
──でも、やっぱり言わなくちゃ。
悩んだけれど、結論はいつでもやっぱり、そうなった。
ママ友はあたしを信頼して、大切な子供を任せてくれるのだから。
もしそのことを、あとから知ったらどう感じるだろう?
裏切られたと感じるだろう。
騙されたと感じるかも知れない。
そう思われるのは耐えられない。
信頼している人に騙されることの悔しさ、裏切られることの辛さは、誰よりもわかっているつもりだった。そのあたしが、「友達」と呼べる人たちにそう感じさせるなんて、絶対にしてはいけないことだと思った。
悩んだけれど、やっぱり告白することにした。
(つづく)

子どもから学ぶことは多かった...
(取材/文=石原行雄)
石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/