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神戸連続児童殺傷事件の加害者だった「元少年A」が書いた書籍『絶歌』(太田出版)。発売からもうじき一ヶ月たとうとしてる現在で、その出版の是非を問う論争が続いている。この衝撃的な本から私たちは何を読み取ることができるのか。元関東連合幹部で、自らも元少年Aと同様、十代を少年院で過ごした経験を持つ作家の工藤明男氏に話をきいた。

工藤明男の著作『いびつな絆』(宝島社)
東京都生まれ。杉並区出身の関東連合元リーダー。IT・芸能の分野で活躍。経済界のみならず政界にも幅広い人脈をもっており、現在は複数の企業の筆頭株主として、主に投資と企業コンサルタントの仕事を行なっている。警察当局から関東連合の資金源と目されてきた。表舞台に顔を出したことは「いまのところは」ない。
答えを出す唯一の方法は「『絶歌』を読む」こと
──(編集部)話題の書『絶歌』を読みましたか?
工藤明男(以下工藤) まだ半分くらいしか読んでいません。喫茶店で2時間くらいで読めると思ったんですが、思っていたより手こずっていますね。
──読むのに手こずる、というのはどういう意味でしょう?
工藤 僕ならではの書評を書こうと思って精読しようとしているのもありますが、ノンフィクションと純文学的な小説を並行して読むような難しさがありますね。
──純文学的、といえば『絶歌』は文学表現の引用が多く、衒学的というか、いかにも青臭い稚拙な文章で、事件の反省がまったく感じられないという批判が多いように思いますが、工藤さんはどう思われますか? 工藤さんも少年院の中でたくさん本を読んだ、ということですが。

『罪と罰〈上〉』(岩波文庫)
工藤 ノンフィクション作品に文学的表現を多用すると、確かに読む人によって不愉快さを感じたり、反省がたりないと怒ったりするだろうなとは思います。しかし、言葉や表現というのは造語でない限り、誰が書く文章もすでに一度は使われたものですので、そういう意味では引用もセンスだと思います。 よくドストエフスキーの『罪と罰』の言葉の引用がどうこうって批判の記事あります。僕も鑑別所の中で『罪と罰』は読みました。感想を言うと長くなるので一言、200年近く前の人間であるドストエフスキーが犯罪者、特に殺人を犯した若者の心理を見事に描写していることに驚きました。『罪と罰』は現代でも殺人犯の心理を読み解く参考になると思います。そういう意味でも僕は彼(元少年A)の文章が稚拙だとは思いません。ノンフィクションとしては読みにくい要素になっているのは事実ですが。
──出版自体の倫理を問う声もありますが、どう思いますか?
工藤 う〜ん。まだなんとも言えませんね。前半の内容は確かに読んでいてしんどいし、かと言って読まないことには最終的な意見は出せませんね。
倫理というといかにも高尚な考え方が必要になってしまうと思うのですが、ルールっていう意味で言うと、毎年ご遺族の方々に謝罪の手紙を出しながら騙し討ちのように出版したのはルール違反ではあると思います。
ただ、それは彼一人の問題ではなく、出版社や彼を取り巻く弁護士とかの責任もあるかと思います。
──世間では「あえて読まない」という意見の人も多いように思われますが、工藤さんは「読む」という考えですね?
工藤 もちろんです。読まないことにはわかりませんし、不買運動が今回の『絶歌』出版の問題を解決することにはならないと思います。読みたい人は読んでから、この本を世に出すべきだったか、出すべきじゃなかったかという答えを探せばいい。
ただ、『絶歌』を目に触れさせないような処置をした自治体や書店に対して、言論や表現の自由を守れ、という人たちにも違和感があります。
──というと?
工藤 ですから、表現の自由とか法律的な規制がどうこうというより、すでに世に出た以上、「読んでから答えを出す」というだけです。法律的な問題や規制がどうこうという意味であれば「サムの息子法」※1というのが取り上げられますが、それも含めて議論の対象になっていることに意味があるのではないかと思います。