テレビ、ラジオ、新聞はかならずしも事実を報道しているとはかぎらない。それは「嘘」を伝えているということではなく、都合の悪い情報をあえて伝えないことで世論をある特定の方向に誘導しようとしている可能性もある、ということである。そこで過去に何度もテレビ、ラジオ、新聞で「報道された側」(笑)であり、報道と事実のギャップを身を持って知っている男でもある元ヤクザ、現在作家の沖田臥龍に、「ニュースの読み方」を指南してもらう!
犯罪者は見た目が9割

「逮捕の秋山容疑者は豪農の娘 学生時代は女子アナ志望...農作業に汗流し、同級生と婚約も」産経ニュース (リンク)
メディアに流れた警察車両に乗り込む秋山智咲容疑者の姿を見て、「結構、可愛い顔してるのに、もったいない(何が?)......」と、憐れみに似た感情を秋山容疑者に抱いた人も、少なからず存在したのではなかろうか。
実際、事件にどこまで深く秋山容疑者が関与していたのかどうかは、いくら警察の決まり文句、『事件の解明を急い』だところで、大まかな事件の概要はつかめたとしても、心情面、及び細かな点までたどり着こうとしても必ず限界が生じる。
人間、誰しも自分に不利益になる供述は、裏付けがとれていかぎり、口を閉ざしたいものであるし、目に形として映らない心の中の気持ちをありのまま口に出す者は、そうそういまい。
後はマスコミ、メディアがどこまで彼女を悪人に仕立て上げ、世論にインパクトを与えていくかにかかってくるのだが、当の視聴者は、メディアに流れた容姿で意見が左右されてしまうのも事実ではないだろうか。
悪人ヅラをして悪態でも吐こうものなら、実際の事件以上に凶悪犯として認識されてしまうし、秋山容疑者のように、そこそこ容姿の整った顔立ちをしていれば、同情を抱かせてしまったりしてしまう。
一度、容疑者についてしまったイメージはバッチを付けた弁護士の力の入れ込み方にも影響するし、取調官の調書の巻き方にも、私情が入り込むとまでは言わないが、まったく影響がないとは言わせない。
現に、暴力団員が相手なら供述、行動、すべてを悪意に解釈され、それはそれは手厳し調書を作成されてしまう。しょせん弁護士であれ、警察官であれ、生身の人間。それは、致し方ないのだろうけれども......。