ノンフィクションよりもフィクションを書かせるべきだった
遺族感情ももちろんありますし、彼(元少年A)を社会で生きて行かせるには、僕も小説を書かせるべきだった思うなぁ。

「酒鬼薔薇 1冊目はノンフィクション、次は小説と出版社に提案」NEWポストセブン
(前略)2012年冬、Aは大手出版社・幻冬舎の見城徹・社長に宛てて自筆の手紙を出した。関係者が話す。
「手紙には社長へのラブコールとともに"自分の本を出したい"との強い思いが綴られていたそうです。社長は、過去に殺人犯の手記を編集した経験のある編集者ら数人のチームを立ち上げた。2013年にはAが会社を訪れ、社長らと直接打ち合わせもしています。そのなかで、Aから"1冊目はノンフィクションがいいが、次は小説を書くことも考えている"という提案があったようです」 当の見城氏は『週刊文春』のインタビューでこう語っている。 〈(Aは)「とにかく書きたい。書かずにはいられない」という感じだった。それで、彼にはまず「匿名で小説を書かないか」と伝えた(中略)彼も一時期は乗り気になって、小説のペンネームを考えてきた〉(以下略)
「酒鬼薔薇 1冊目はノンフィクション、次は小説と出版社に提案」NEWポストセブン(リンク)
こんな記事もある。

「元少年A、手記の次は小説を出す? 出版社は「存じていない」と言うが...」J-CASTニュース
(中略)見城氏は、「編集者として、彼の本を出せなかった無念の思いはやっぱりある」とする一方で、「もっと原稿を直したかった」とも漏らしている。(後略) 「元少年A、手記の次は小説を出す? 出版社は「存じていない」と言うが...」J-CASTニュース(リンク)
見城氏の葛藤からも伺えるように、文才はあるのだと思う。ただ、世に出すべきかどうかの判断は別にして、編集者として一度見つけてしまった才能を埋没させるのは無念に思うだろう。
もちろん、僕も読んでいて無意味な文学的表現が目立つように感じる。ただ、元少年Aが自分で思うほど文才があるのか、それが錯覚なのかは、ノンフィクションという形式の作品では判断がつきにくい。
そして、遺族感情を鑑みればノンフィクションを出すべきではなかった。
だからこそ、純粋にフィクションの小説を書かせることは、彼に「生きる道を与える」という意味ででは「あり」だったのではないかと思う。もちろん、彼の原体験というべき大きな経験となっているのはあの事件(神戸児童連続殺人事件)である。それ抜きに彼(元少年A)の文章は成り立つのか?という疑問と、フィクションを書いたら書いたで、「なぜ真実を語らない?」という批判も起こるだろう。それでも、僕は彼にノンフィクションよりもフィクションを書かせるべきだったと思う。
僕もあと1冊でノンフィクションは一度やめる。
個人的な予定としては単発的なコラムは書きつつも、溜まっている読みたい本を読みながら世界中を旅して一度充電期間を設けたいと思っている。それから本格的なフィクションを描きたい。もちろんその中には僕の原体験がちりばめられているが、より多くの人から理解が得られ、人に喜ばれる、感動を与えられるようなものが書きたい。
元少年Aにその文章力や才能があるのかはまだ本を読みきるまでわからないが、太田出版には元少年Aにその道を勧めて欲しかったと思う。
サムネイル画像は「酒鬼薔薇 1冊目はノンフィクション、次は小説と出版社に提案」NEWポストセブンより
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