
「ファンゴッホの寝室(1888)」フィンセント・ファン・ゴッホ 写真はwikipediaより引用(リンク)
非常に読み応えのある記事でした
大人たちは責任を持って、少年をフィクションの作家にしてあげれば良かったのだと思う。

『作家になりたいと語っていた少年A 18歳で書いた小説の内容』NEWポストセブン
(前略) 2001年1月、医療少年院に講師として招かれ、少年らの授業を受け持った童話作家・森忠明氏に将来の希望を尋ねられ、当時18歳だった少年Aが答えた言葉だ。本誌2001年3月9日号『全文掲載 18歳・酒鬼薔薇が綴った「700字小説」』で明かしたエピソードである。森氏が振り返る。 「当時から際だって表現欲求が旺盛でした。ただし、私が彼に会った14年半前にはすでに彼の中にいた魔物はおらず、"抜け殻"のような印象がありました。 たしかに私は彼に"小説を書いたらどうか"と勧め、彼はその約束を守って今回の本を書いたのかもしれません。ですが、"抜け殻"の彼が今後、歴史に名を残すような作家になれるとは思っていません。いま彼を支えているのは、"自分を表現したい"という自己顕示欲だけなのかもしれない」(後略) 『作家になりたいと語っていた少年A 18歳で書いた小説の内容』NEWポストセブン(リンク)
この記事を読むと少年の強い創作願望が伝わってくる。
少年院で抜け殻──まさに骨抜きにされた少年は彷徨い続けて、何かのきっかけで今回の出版に至った。その経緯については様々な説があるが、彼の抑え込まれた願望を呼び覚ますだけのものがあったのだろう。
僕も少年時代から作家になることが夢とか願望というより自分に決められた道のようなものだとなんの疑いも持たずにいた。
皮肉にも元少年Aと同様、僕は処女作にノンフィクションを選んで作家デビューしてしまった。今さら不本意とは思っていないが、自分の体験をノンフィクションとして事実を忠実に再現するのは自分の身を削るような苦しみがある。

『その日が来る (国土社の新創作童話)』著/森忠明 画/阿部中夫 刊行/国土社
元少年Aの、少年時代の大きな原体験となっているのは、当然のことながら神戸児童連続殺人事件だろう。それを抜きにして彼の創作活動は困難だろうが、今回のような直接的な表現ではなくても、彼をフィクションの作家として創作活動の道筋を作ってあげることは出版社としてできたのではないかと思う。
もちろん、今回のような本人主体の当事者目線でのノンフィクションの方が売れることは間違いないが、作家を育てるということが出版社としての中長期的に見たビジネスの役割だとしたら、今回、このような形で出版しなくても、彼に社会で役にたつ生き方を用意できたのではないか?と自分の胸に手を当てるような思いで考えさせられる。
創作者は生まれながらにして創作者なのか、生きた過程で創作者になるのか、いずれにしてもある種の人間には創作せずにはいられない性(さが)というものがある。それが日の目を見るのか、金儲けになるのかは別にして、創作せずにいられない生き物なのだ。
死んでから評価される作家もいる。
『絶歌』が酒鬼薔薇元少年Aの遺書にならないことを願っている。
(次回の掲載は6月27日午後12時です)
元関東連合幹部、大ヒット作『いびつな絆』著者である工藤明男ならでは視点で元少年A(=酒鬼薔薇)の『絶歌』を読み解く!