>  >  > 家族という存在の悲しみ 『息もできない』前編
宮崎学の「本当はおもろい韓国ヤクザ映画」第7回 『息もできない』前編

家族という存在の悲しみ 『息もできない』前編

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

第7回『息もできない』前編
不良になるしかなかった男たちの物語

『息もできない』後編はこちら

breathless01.jpg

『息もできない』予告編より

 自主制作ながら09年 ウラジオストク国際映画祭グランプリ、最優秀女優賞ほか多くの国際映画祭で注目された作品である。ヤン監督の子ども時代の体験などを反映させたというが、主人公サンフンのほか登場人物の大半が「暴力的」である。

 映画の公式サイトのインタビューで、監督は私生活に問題点があったことを明かし、「韓国の歴史的な背景を見たとき、"国"が私たちの父親や母親の世代の心に傷を負わせてきたという認識があった」と話している。

 歴史に翻弄され、心に傷を負った「家族」を中心にした物語の救いのなさ、後味の悪さは韓国ノワール映画らしいとしかいいようがないが、不思議な懐かしさのようなものも漂う。

 友人のマンシクの経営する会社に勤め、借金の取り立てやデモ潰しなどをしているサンフンは、甥をかわいがる一面はあるものの、暴力をふるうことでしか感情を表現できない。

 この不器用さは、日本の男にも共通していると思う。特に読み書きのできない私の親の世代には、このようなタイプが多かった。とにかく手が先に出てしまうのである。

 冒頭で、サンフンらが大学構内での集会を潰しに行く場面では、サンフンが大学生と自分の味方を区別せずに殴りつける。マンシクからとがめられても、まったく気にしない。

 サンフンの性格がわかると同時に、韓国と日本の学生運動の違いもわかる。日本では、労働争議や株主総会に右翼やヤクザが登場することはあっても、権力がヤクザに学生運動を潰させることはなかった。しかし、韓国ではサンフンのようなヤクザが雇われる。韓国政府が反体制運動に強い危機感を持っているからに他ならないが、その一方で、学生たちの運動に一般人が加わることも珍しくない。

「同じ民族がイデオロギーで南北に分断されている」という現実が、為政者や民衆の心に暗い影響を与えているのである。

 これに対して1960年代から70年代の日本の学生運動で、一般人がデモに参加することはほとんどなかった。こうした違いも興味深い。
 


breathless02.jpg

『息もできない』予告編より


 サンフンは、実の父親にも手をあげる。妹を殺して服役し、出所してきた父を殴り、暴言を吐くが、その場面は音声のみだ。年長者や恩師を大切にする儒教が色濃く残る韓国では、親への暴力はタブーとされているからだろう。

 しかし、孤児だったマンシクは、「あんなお父さんでも、(父親がいるのは)うらやましい」と明かす。

 日本のヤクザたちも、問題のある家庭で育っている場合がほとんどである。家庭のあたたかさに恵まれなかった者たちが、集団を作っていくのは、生きていくための知恵と同時に寂しさもある。

「ヤクザは悪くない」とは言わないが、家族や貧困、差別についての悲しみがある限り、ヤクザやヤクザ的な者たちは存在し続けるのであろう。

   


【映画の概要】暴力をふるうことしかできないヤクザで、友人マンシクの経営する会社で借金の取り立てやデモ潰しなどを請け負うサンフン。幼い頃に父が妹を殺し、母が交通事故死している彼は、姉とその息子は大切にしている。ある日、女子高生のヨニと知り合ったサンフンは、口論を繰り返しながらも心を通わせていく。ヨニの父はベトナム戦争で心に傷を負い、母はヤクザに殺されていたが、弟もヨニにカネを無心するような不良で、サンフンの弟分となる。ヤン・イクチュン監督、韓国公開09年・日本は10年。撮影の途中で資金がなくなり、監督が借金をしたというエピソードもある。


後編を読む)
   




宮崎学 1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。『週刊現代』(講談社)記者を経て、家業の解体業を兄とともに継ぐが倒産。その後、 グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされるが、事件は2000年2月13日に時効を迎え真相は闇に消えた。1996年10月、自身の半生を綴った『突破者』で作家デビュー。近年は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。