「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。
<第三章⑩ 前科者としての覚悟>
これで落ち着くはずだった
住む場所が決まると、これまでの自分を振り返る余裕も少しずつ出はじめた。
それまでのあたしは、底なしの穴に無限に落ちていくような恐怖と不安から、余計に自暴自棄になったり無気力になっていた。
それだけに、「堕ちきった」という現実は「もうこれ以上は堕ちない」という安心感を生んでくれた。
いえ、もちろんそう簡単に割り切れたわけじゃない。
「そう思うことにしよう」と自分に言い聞かせていただけ。
でも、前向きになれるだけでも、あたしにとって意味は大きかった。
秋田に腰を落ち着けて、まず最初にしたのは、体を治すこと。肝炎と肋骨の骨折と破れた鼓膜の治療のため、近所の病院に通った。逮捕の頃は肝炎のため、肺の下あたりにときおり激痛が走っていた。
肋骨の骨折によるミシミシと軋むような痛さとはまた違う。
喩えるならば錆びた刃物で力任せに切りつけられるような、肉が破かれるような強烈な痛み。
痛みが走ると一瞬、みぞおちを殴られたときのように呼吸が止まって苦しくなった。
そんな痛みも、病院に通うようになると嘘のように治まった。
ときどき、「親にも見捨てられた前科者」という自分の境遇に負けそうになって、死にたい気持ちが頭をもたげた。
でも同じ失敗は繰り返したくなかったから、精神科にも通って精神安定剤を処方してもらった。
治療に専念して体力が回復しはじめると、少しずつ覚悟のようなものも生まれはじめた。
「ミツオの浮気とか暴力というのもあったけど、結局、覚醒剤を使ったのは自分の責任。シャブに溺れて捕まって、前科者になったのは自業自得」
だから、「これからはすべてを受け入れて生きていくしかないんだ」と。
しかし、少しずつ現実を直視できるようになった頃、立て続けに三つの事件が起きた。
ひとつは、骨折。
ある朝、あたしはいつものように病院に行くため、アパートを出た。コンクリートでできたアパートの外階段を降りながら、ぼうっとしていたのか、あたしは最後の一段を踏み外した。
咄嗟に手すりに掴まろうとしたら、勢いあまって鉄パイプ製の手すりに胸を打ちつけてしまった。
痛っ!
そのときはちょっと痛みが走っただけだった。
ミツオに殴られて折れたのとは別の方だったから、たいしたことではないと思った。
それでも念のため部屋に戻り、布団に入って横になった。
診察は午後にしよう。
しばらく寝ていれば痛みは治まるものと思った。
でも、実際は逆だった。

もう入院はごめんだった...
(つづく)
(取材/文=石原行雄)
石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/