>  >  > 貧困が暴力を産み、暴力が憎悪を産む 『悲しき獣』後編
宮崎学の「本当はおもろい韓国ヤクザ映画」 第6回 『哀しき獣』後編

貧困が暴力を産み、暴力が憎悪を産む 『悲しき獣』後編

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

第6回『哀しき獣』後編
冴えない男の決断

『哀しき獣』前編はこちら

yellowsea_03.jpg

『哀しき獣』予告編より

 朝鮮自治州でタクシー運転手をしている主人公のグナムは、毎日のように借金取りに追われていた。借りたのは生活のために韓国へ出稼ぎに行った妻の渡航費用などだったが、その妻は韓国で消息を絶ったままで、送金もない。借金を一気に返そうと挑んだ麻雀もボロ負けし、さらに借金が増えてしまう。

 そこへ犬商人のミョンが、殺人の請負をもちかけてきた。ミョンは麻雀でグナムからカネを巻き上げた男でもあった。

 韓国で「ある人物」を殺せば、借金を帳消しにしてやるし、さらにカネも出す。ミョンは、犬を売る裏で殺人の請負をしているヤクザだったのだ。

 しかたなく引き受けたグナムは黄海を渡る。大金を得て妻を探し、ともにやり直そうとも思ったのである。

 大連から漁船に乗り、日本海に面した慶尚南道蔚山に密入国したグナムは、怪しいブローカーから「10日後に仁川(黄海に面した港湾都市)に戻ってこないと中国に帰れない」と言われ、ソウルに向かう。

「ターゲット」は大学教授だった。殺害の証拠として親指を切り落として持っていかなくてはならない。グナムは教授の身辺を調査しながら、妻の行方も探す。

 この件が元になり、グナムは警察とミョン、そしてグナムたちとは別の意図で教授を狙っていた運送会社社長のテウォンからも命を狙われることになる。

絶対的な貧困と暴力

 本作では、命を狙われるグナムの死闘が続く。果てしない暴力の背景には、朝鮮族の貧困と、彼らを利用する裏社会の存在もある。
だから、単なるバイオレンス映画ではなく、暴力の背景にある絶望的な貧困、マイノリティの鬱屈した気持ち、外国人労働者の苦しみ、そして女性への執着といった人間らしい悲劇として仕上がっている。

yellowsea_04.jpg

『哀しき獣』予告編より

 ストーリーが入り組み、意味が分かりにくい部分もあるが、「哀しい現実」は感じることができるだろう。

 私には、犬商人でヤクザのミョンの狡猾さと冷徹さが印象に残ったが、監督によれば延辺の実在のヤクザをモデルにしたのだという。銃は使わず、包丁やバットで暴れ回るヤクザたちの描写はやや長すぎる印象もなくはないが、絶対的ともいえる貧困が生んだ暴力は、やはりリアルで迫力がある。

 脱北者もやってくる自治州は、死に直結する絶対的貧困が覆っている。生きんがために韓国へ渡った者たちが、窮乏から逃れる道として選ぶものが暴力であるとしても、何の不思議もない。

 ただ、日本に住む朝鮮族や在日コリアンの「境遇」は、自治州の貧困を批判できるのだろうか。むしろ日本のほうが居心地が悪いのではないか。

 2015年は、日韓国交正常化から50年の年でもあるが、国内では相変わらず排外主義がまかりとおり、差別とそれによるヘイトスピーチが問題になっている。

 本作をきっかけに、日本と韓国、北朝鮮、中国、ロシアとの歴史的な関係も論じるのも面白い。


   


前編を読む)


   

※歴史などデータは、朝鮮族ネット
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/index.html
監督インタビュー
http://www.cinematoday.jp/page/N0036417
および各紙報道による。


【映画の概要】『哀しき獣』(原題『黄海』)
観客動員数500万人を記録したデビュー作「チェイサー」で注目されたナ・ホンジン監督による2作目のクライム・サスペンス。貧しい生活を送る中国籍の朝鮮族の男・グナムが、借金返済のために殺人の依頼を受け、黄海を越えて韓国へ向かう。韓国には出稼ぎに行ったまま音信不通となった妻もいるはずだったが......。韓国公開2010年・日本は12年。ハリウッドによるリメイクも決定。


   




宮崎学 1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。
『週刊現代』(講談社)記者を経て、家業の解体業を兄とともに継ぐが倒産。その後、 グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされるが、事件は2000年2月13日に時効を迎え真相は闇に消えた。1996年10月、自身の半生を綴った『突破者』で作家デビュー。近年は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。