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シリーズ 達人に訊け

刑務所の慰問を続けて30年以上 まだまだやりますよ!

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慰問のきっかけは......「ヒマだったから」

──刑務所の慰問を始められてから、既に30年を超えられたそうですね。

才賀 始めた頃は、そんなに続くとは思っちゃいませんでしたけどね。もうそんなに経ったか、という感じです。まああたしがいかにヒマなのかということでもありますが(笑)。

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 累計で1000回以上、国内の全施設を制覇しました。ギャラだけじゃなくて、交通費も宿泊費も全部自腹ですよ。でも、これでいい。「もらわない喜び」というのかな。ちなみに「矯正支援官」もノーギャラなんですが、交通費と宿泊費はいただけます。

──慰問は、どのような経緯で始められたのでしょうか。

才賀 きっかけは、ある年の夏休みだったんです。あたしの子どもたちが小さい頃は、夏休みは妻の実家のある沖縄に家族で毎年帰省していたんです。でも、ある時期からは沖縄に行っても一緒に行動しなくなっちゃって。妻も同級生たちと食事に行ったりね。

 それで、沖縄で独り、あまりにもヒマなんで「老人ホームに慰問でも行こうかな」と思い立ったんです。ホームの慰問というのは、芸人にはわりと一般的なことなんです。特に駆け出しの頃は、一人で稽古するよりも誰かに聞いてもらったほうが勉強になりますからね。

 それで、役所に問い合わせたら、当時は古今亭朝次(ここんてい・ちょうじ)の名で『笑点』にも出てたから、喜んでいくつかセッティングしてくれたんです。それで、「ついでにホームの隣の沖縄少年院にも行ってもらえませんか?」と聞きかれて、軽い気持ちで引き受けたんですよ。

 それが今でも続いてるんですが、これには当時沖縄少年院の院長だった野津祥市(のづ・しょういち)さんという方のご縁もあるんです。この方がいなかったら、そんなに続いていなかったかもしれません。

 だって、沖縄のあとは札幌の北海少年院、横須賀の久里浜少年院に行きましたが、行くと、なぜか野津さんが必ず院長なんです。野津さんも「あなたと私は、見えないワイヤーロープで結ばれてるねえ」って。聞けば院長など幹部クラスは2年ごとに異動があるそうで、少年院は国内に53カ所もあります。すごい確率でしょ。

──すごいですね。久里浜少年院では、篤志面接員もされていますね。

才賀 これも野津さんに頼まれたのがきっかけです。略して「トクメン」というんですが、ボランティアの相談員、カウンセラーといったところです。少年たちと話題を合わせようと、自動車レースの勉強もしました。

 でも、事件を起こした少年たちに面会しているうちに、大人の側の問題にも気づいて、『子供を叱れないたち大人たちへ』(実務教育出版)という本も書かせてもらいました。これはだいぶ前の本なので、近々改訂版を出すことにしました。ここで宣伝しときます。

 そもそも「叱る」と「怒る」の違いとか、愛情の注ぎ方をわかってない大人が多いんです。こういうテーマで講演を依頼されることも多いですね。

──本業以外でもご多忙ですね。朝次さん時代には、映画のご出演もあったそうですね。

才賀 映画「鬼龍院花子の生涯」のヤクザ役にスカウトされたんです。何でも五社英雄監督が、『笑点』の大喜利を見てあたしを抜擢したらしい。何ごとも経験ですね。