第2回 『チング 友へ』後編 日本の不良文化と見比べてもおもしろいぞ

『チング 友へ』予告編より
『チング 友へ』の舞台は、1970年代から90年代にかけての韓国・釜山である。当時の韓国は、80年に民主化運動の高揚が原因で多数の死傷者を出す「光州事件」が起こるなど、激動の只中にあった。
主人公であるヤクザの息子・ジュンソク、葬儀屋の息子・ドンス、優等生のサンテク、密輸業者の息子・ジュンホが育った釜山は、首都のソウルに次ぐ大都市であり、日本との結びつきも深い。
本作でも、ジュンホの家にある日本製のビデオデッキでポルノビデオを見たり、日本のヤクザが釜山の遠洋漁業者よりも儲けたりするなど、当時の日本との関係がうかがえる。
本作は釜山出身のクァク監督の体験を基にしたというが、日本のヤクザ映画のスタイルを取り入れている部分もある。
たとえば子分たちが親分を出迎える場面では、黒いスーツ姿の子分たちが並んでいっせいに最敬礼するのだが、これは日本のヤクザ独自の風習であり、本来、韓国のヤクザはやらないと聞いている。

『チング 友へ』予告編より
これに対して「韓国的」といえるのは、道具(凶器)が拳銃でなく刺身包丁やナイフであることだ。町なかでハデに拳銃をぶっ放すのは、娯楽作品としては面白いのだが、刺身包丁のほうがリアリティがある。
また、何も考えずに遊んでいたジュンソクとドンスが成長と共に父親の職業のコンプレックスなどから悪い道へ進んでいくようになる過程もリアルに感じた。
子どもだったドンスがワルになるにつれて制帽がぺちゃんこになり、シャツが派手になっていくところなどは私の子ども時代とも重なり、思わず笑ってしまった。ぺちゃんこの制帽は「アンパン」と呼ばれて不良の象徴だったのである。「元不良少年」としては、こういうところも大いに楽しめた。
このドンスは、葬儀屋で貧しい父を愛していながら家業は継がずにジュンソクと敵対するヤクザの組織に入る。4人の主人公の中で、ドンスは最も複雑な気持ちを抱き続けてきたことは印象に残る。一方で、ジュンソクが優等生のサンテクに憧れを抱いているのは少し切ない。「オレの親友はエリートなんだ」と繰り返し、サンテクの留学をうらやましがる。
このサンテクはヤクザとなったジュンソクを支え、ジュンホもジュンソクを庇う。こうした友情は理想ではあるが、もはや現実ではありえない。
しかし、だからこそ多くの人の心を打つのである。
(前編はこちら)
【映画の概要】釜山出身のクァク・キョンテク監督が自らの体験をもとに描いたヤクザ映画の秀作。韓国内で820万人を動員、一大ブームとなった。韓国・釜山で生まれ育った幼なじみの四人組(ヤクザの息子、葬儀屋の息子、優等生、密輸業者の息子)が大人になるにつれて違う道を歩むようになったことで起こる悲劇。2001年製作。
宮崎学 1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。『週刊現代』(講談社)記者を経て、家業の解体業を兄とともに継ぐが倒産。その後、 グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされるが、事件は2000年2月13日に時効を迎え真相は闇に消えた。1996年10月、自身の半生を綴った『突破者』で作家デビュー。近年は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。