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その女が注射器を捨てるまで 第28話

第二章⑧ 常習者への階段 その5

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「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


閉ざされた世界で

 あたしは着実におかしくなっていった。

 最初に自覚したのは、幻覚。

 その日も、あたしはすることがなく、真っ昼間から覚醒剤を射っていた。

 注射が効いてしばらくすると、視界の端でなにかが動いた。

 ビクッとして反射的にそちらを見ると、台所と和室を区切る柱があった。

 ほっとしながらも、そのまま柱を見ていると............!!!

 柱がゆらゆらと動きはじめた。

 はじめは全体的に陽炎のように揺れ動いていた。

 見つめ続けていると、床から一メートルくらいのところをクネクネと、まるで腰を振ってダンスをするように揺すりはじめた。

 なにこれ? おもしろい!

 幻覚を見ているという自覚はあった。見えるはずのないものが見えているのに、恐いとは思わず、むしろ楽しいと感じていた。

 これを皮切りに、あたしはシャブを射つたびに幻覚を見るようになった。

泳ぎ回るイルカ

 あたしは部屋に、ジグソーパズルをいくつも飾っていた。

 ジグソーパズルは、効いているときに楽しむのにぴったりだった。

 覚せい剤の効果で異様に高まる集中力を持て余さずに済んだし、部屋の中で集中するものがあれば人目のあるところで奇行をやらかさずにも済んだ。

 完成したときには大きな達成感に感動することもできた。

 何枚か飾ってある中でも一番のお気に入りは、三千ピースの大きなやつ。

 射っては作り、シャブが切れかけたらまた射って取り組むというのを何度か繰り返して、一日で完成させた大作だ。

 絵柄は、ピンク色や象牙色の珊瑚が生い茂る海の中を、二頭のイルカが悠々と泳ぐ姿。

 珊瑚の表面はエナメルのようにつやつやとなめらかで、幾筋もの陽光が射し込むコバルトブルーの海は、テレビで見る南洋のリゾート地の、びっくりするくらい透明度の高い海の水そのもの。

 写実的な絵柄には仕掛けがあった。

 インクに夜光塗料が混ぜてあって、部屋を暗くするとイルカがぽっかりと青白く暗闇に浮かび上がった。

 シャブを射って部屋を薄暗くすると、そのイルカが泳ぐようになった。

 はじめのうちはパズルの枠の中だけを、そのうち枠から飛び出して、壁から床から天井まで、部屋中を優雅に泳ぎ回った。

 ホコリっぽくて薄暗い部屋の中が、南洋の海になった。

 イルカはゆったりと泳ぎながら、ときには器用にクルッと回転して、フェイントをかけるように素早く方向転換をした。

 あたしはへたり込むように床に座って──たぶん口は半開きで、光を放って泳ぎ回るイルカを、飽きずにいつまでも目で追った。

 イルカの瞳はクリクリとつぶらでかわいらしく、あたしが見つめているのに気づくと微笑み返してくれるのだった。

 でも、イルカが泳いだだけじゃない。

 ウルトラマンも飛んだ。

ogura_140908.jpg

イルカと戯れるのは心地よかった(この写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/