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その女が注射器を捨てるまで 第27話

第二章⑦ 常習者への階段 その4

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「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


止められない、止まらない

 台所に駆け込んだ私が雑巾を絞りながら、ふと視線を横に逸らすと、玄関ドアが目に入った。

 そのドアは本当ならば白いはずなのに、表面が黄色っぽくなっていた。

 日に灼けたのか、単純に汚れたのか......

 ともかく、あたしは握りしめた濡れ雑巾で、ドアを磨きはじめた。

 畳のことなど、すっかり忘れて。

 ドアを磨きながら、あたしは思った。

 内側よりも外側の方が汚れてるんじゃない?

 ドアを開けて、外に出て、木目のプリントされた外側の面を磨きはじめた......。

 記憶に残っているのは、ここまで。

 そのあと、なにをどうしたのだろう? あたしは声をかけられて、ハッと正気を取り戻した。

ギリギリセーフ......!?

「奥さん、ご精がでますねぇ」

 飯場の隣の家に住む年輩の奥さんが、生け垣越しに声をかけてきていた。

 声に振り向くあたしは、左手に水のほとばしるホースを、右手にはどこから拝借してきたのか、柄の部分を三メートルくらいに伸ばせる長くて大きなブラシを持っていた。

「ガレージの天井だって洗えます」なんて、テレフォンショッピングで売ってるやつ。

 あたしはそれで飯場のプレハブの外壁を、ゴシゴシとやっていた。

 飯場の建物を磨いていたのだ。

 視界に入った汚れに次々と目移りしながら、ここまでたどり着いたのだろう。
 
 パジャマ代わりのスウェット姿のままで。

 しかも、スウェットの前の方は上から下までほとんどずぶ濡れ。

 お隣の奥さんは背の低い植え込み越しに、ニコニコと微笑みながらこちらを見ていた。

「休日返上で住まいまで水洗いする働き者の若奥さん」、そんなふうに見えたのだろうか?

「どうも......いえ、あの......ちょっと汚れが目立ったもので......」

 汚れが目立つからといって、建物の外壁を洗う人なんてまずいない。

 あたしは慌ててホースやブラシを片づけて、そそくさと部屋に戻った。

 セーフ! 変な目で見られてなくて、よかったよかった......。

 あたしは自分が奇行に走りはじめていることにも気づかず、通報されなかったことにただホッとしていた。

 しかも、「通報されなかったのは自分の強運のため」だなんて、変な自惚れまで感じていた。

 大きく踏み外していることに気づいていなかった自分が、今思い出しても恐い。

 それでもあたしは用心をして、注射をしたらなるべく部屋の外には出ないように心がけた。

 部屋の中でもやるべきことはいくらでもあり、注射器具の洗浄とか隠蔽工作に没頭すれば、必要な作業をこなしながら無難に時間をやり過ごせたから、とても合理的な時間の使い方をしている気にもなれた。

 けれど、「外に出ちゃダメ」と自分を制するのは、やっぱりストレスになっていたのだろう。

 部屋に籠もるようになると、あたしはますますおかしくなった。

ogura_140908.jpg

孤独な私に手を差し伸べてくれる人はいなかった(この写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/