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その女が注射器を捨てるまで 第26話

第二章⑥ 常習者への階段 その3

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「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


達成感に満たされて

 油断したあたしの使用回数は、週を追うごとに増えていき、注射回数が増えるとそれに比例するように、一度に射つ量も増えていった。

 酷い日になると一日に五、六回。

 一発の注射が三時間程度で切れるたびに、チェーンスモーキングのように次のを射っていた。

 注射をすると、しらふのときよりも家事がはかどるような気がした。

 実際は、気がしただけだったけれど。

 覚せい剤を注射すると、ひとつのことに意識が集中する。

 だから、例えば流し台の汚れが気になったら、一時間でも二時間でもスポンジでシンクを擦り続けた。

 それでもシンクがキレイになれば、まだましなほう。

 シンクの隅っこにぽつんと付いた黒ずみが気になりだしたら、そこばっかりを磨き続けていたから、手のひら大の一部分だけが異様にピカピカで、他はくすんだままという、ちぐはぐな状態になることがほとんどだった。

 シンクを磨いている最中に、ふと見上げた先に窓があって、そこの汚れが目につくと、次の瞬間シンクのことは意識からスッポリと抜け落ちて、窓ガラスを磨きはじめた。

 窓を磨きながら、ふと指先を見てボロボロに剥げたマニキュアが目に入ったのだろう、覚せい剤が抜けはじめて気づくと、スポンジを投げ出して爪磨きに励んでいたこともあった。

「だからシャブが効いてるときは洗車しちゃダメだぞ」

 久間木もたびたび言っていた。
 
 深夜に突然クルマを磨きはじめて、しかも二時間も三時間もボンネット一枚を延々と磨き続けたりするような奇行に走ってしまうから。

 おかしな洗車をして通報されて、それで逮捕されたら笑い話にもならない。

 だから、あたしも洗車は自重していたけれど、ときどき我慢できなくなって、運転席側のドアノブだけを一時間も磨き続けたりした。

もっとキレイにしなくっちゃ!

 それでもまだ、クルマなら磨いていてもおかしくはない。
 
 ありえないものを磨いたこともある。

 一日に何度も射つようになってから、しばらく経ったある週の土曜日。

 相変わらず前夜からミツオは不在で、昼前に目を覚ましても隣の布団に寝崩れた形跡はなし。そんなのが当たり前のようになった週末、あたしはいつもどおり寝起きの一発を注射した。

 背筋をスーッと冷たいものが駆け抜けて、一拍後にゾワゾワとした快感が全身を包んで、あたしはアッパーな気持ちになった。

 そして猛烈な勢いで家事をこなした。

 部屋中の床という床に掃除機をかけ、その途中で畳にタバコの焼け焦げを見つけると、カッターナイフの先で黒く焦げた表面だけを丁寧にこそげ取った。

 真剣に取り組んでキレイな処置ができると、なんとも言えない達成感が胸を満たした。

 大きな満足感とともに焼け焦げが除去された畳を眺める......と、こそぎ落とした黒いクズが、焦げ痕の周りに散らばっていた。

 日に灼けて薄茶色になった畳表の編み目の間に、たくさんの細かいコゲくずが入り込んでいたのだ。

 これもキレイにしないと!

 あたしは慌てて台所に走り、雑巾を濡らして固く絞った。

ogura_140908.jpg

自分までキレイになれるような気がして没頭した(この写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/