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その女が注射器を捨てるまで 第12話

第一章⑪ 箱の中の鳥 その2

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「あたしシャブ中でした」
家族関係の行き詰まりから、ひとときの逃避のつもりで手を出した覚醒剤──それが地獄のはじまりだった。
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
バツイチ・一児の母でもある彼女は、二十六才で覚醒剤を常習、二度の逮捕や、精神病院への強制入院などを経験。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


届かなかった想い

 正体不明の箱を横目に、ガラガラと玄関を開けると、待ちかまえていたのか母が居間から飛んできて、

言った。

「今日から、病院から帰ってきたら家に上がる前に、そこでシャワーを浴びて着替えるように」

 母の指差す先には、得体の知れない箱。促されて箱の前に戻り、ドアを開けて中を見ると、脱衣室とシャワー室があった。ユニットバスのようなものを改造して作った、あたしの帰宅時専用シャワールームだった。

 アイボリーのプラスティックがぐるりと広がる内部を、立ち尽くして呆然と見ていると、母がつけ加えた。

「脱いだものは籠に入れて、この脱衣室にそのまま置いておくように」

 あたしの話なんてなんにも聞いちゃいなかったんだ。

 箱の中で外からは見えないとはいえ、家の外で服を脱ぐことにも強い抵抗があった。

 でも、母の思い詰めたようなキツい目つきを見ると、これ以上なにを言っても無駄だとわかった。

 あたしの胸は無力感で満たされ、あとはただ母の納得するように従うよりほかになかった。

空しさが満ちていく

 それからは、病院から戻るとまず玄関横の箱に入り、服を脱いでシャワーを浴びて身を"清め"て、置いてある下着と部屋着に着替えてから、ようやく玄関をくぐることになった。

 病院での仕事は毎日、見るもの聞くものすべてが目新しく、新鮮で楽しかったのに、帰宅してシャワーを浴びると、あたしはなんだか自分が悪いことをしているような気にさせられた。

「あなた、シャワーの時間が短かったんじゃない? ちゃんとキレイにしたんでしょうね?」

 母の納得するようにシャワーを使ってから玄関に上がっても、ガラス戸の前で監視しているのか、母はなにかと文句をつけた。

「今は院内感染の問題もあるから、病棟自体がキレイに滅菌されてるんだよ。だから大丈夫なんだよ」

 玄関先で小言を言われるたびに、母の結核に対する考えが間違いでしかないことを、言葉を尽くして話したけれど、母の心に届いている感触はまったくなかった。

 何度も何度も話すうちに、あたしのセリフはワンパターン化していくような気がして、知識の乏しさを痛感させられた。

 母の偏見を正すことのできない自分の不勉強を責めるようになった。届かない言葉を言い続けることに、空しさを感じるようにもなった。人の役に立ついい仕事をしていれば、お母さんもあたしを褒めてくれるはず──。看護師の仕事をしていれば、小さな頃のように、また母に認めてもらえると思っていた。

 でも、いくら仕事をがんばっても、母が喜んでくれる様子はなかった。それどころか、あたしの仕事を良く思っていないようだった。

 夜勤明けの早朝に帰宅すれば「クルマのエンジン音や足音がうるさい」と小言を言われ、そうでなくても日常的に「生活時間が不規則になって健康に悪い」と言われたりもした。好きでこの勤務シフトにしてるんじゃないのに......。

 看護師という仕事を選んだ目的のひとつ──母に認めてもらい褒めてもらうことは、永遠にできない。

 あたしはそう思うようになった。

 そのうち、夜勤続きの激務と学業の両立の難しさも重なって、仕事に対する情熱は急速に萎んでいった。

 そんなときに、あたしはタカノリと出会った。

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私の思い描いた未来は、儚く崩れていった(写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/