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その女が注射器を捨てるまで 第5話

第一章④ 回想その1

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「あたしシャブ中でした」
家族関係の行き詰まりから、ひとときの逃避のつもりで手を出した覚醒剤──それが地獄のはじまりだった。
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
バツイチ・一児の母でもある彼女は、二十六才で覚醒剤を常習、二度の逮捕や、精神病院への強制入院などを経験。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


完璧すぎるくらい完璧な

 あたしは東北の某小都市で生まれ育った。

 父は医師で、母は教師。

 父は雇われだけど地元では誰もが知る総合病院に勤めていて、新薬の開発に協力したこともある人だった。

 たまの休日に、町に一緒に買い物に行くと、担当する患者さんなのか病院の関係者なのか、父に挨拶をする人に出くわして、そんなときはちょっと誇らしかったりもした。

 母は小学校の教師。

 父のときと同じように、母と一緒に外出すると、生徒の親らしき人たちに頻繁に会釈をされたのだけど、こちらは地元でのことが多くて、むしろちょっと気恥ずかしかった。

 ただ、生徒のお母さんらしき人がラフな服装だったのに対して、あたしの母はいつもジャケットを着ていて、髪もまとめて縛っていたのは、心の中で誇らしく思っていた。

 母はいつでもきちっとしていて、キレイで、あたしはそんな母が大好きだった。

 小学校に上がると、誰に言われるでもなく、あたしは勉強に励んだ。

 父と母に褒めてほしかったから。

 今振り返ってみると、立派な父と、きちっとした母に、ふさわしい子供になりたいという気持ちもあったと思う。

私を見て、見捨てないで

 ドリルやテストでいい点数を取ってくると、両親は喜んでくれた。

「よくがんばりましたね。この問題なんて、誰もが簡単に解けるものでもないでしょうに、よく正解できましたね」

 一番がんばったところを母がちゃんとわかってくれているのが、本当にうれしかった。

「次もこの調子でね」

 言われるまでもなく、あたしはがんばった。

 母に褒めてほしかったから。

 それなのに、いつ頃からだろう? 学年が上がるにつれて、点数が良くても、母は間違ったところを指摘するようになり、手放しで褒めてくれることはなくなった。

「惜しいわね、こことここが合っていれば満点だったのに」

 落とした設問が少なければ少ないほど、母はがっかりしているように見えた。

 一年生や二年生の頃のように、お母さんに喜んでもらいたい。

 そう思って、机に向かう時間を増やしてみたけれど、三年生、四年生......と学年が上がるにつれて、満点を取れることは少なくなっていった。

 憧れの母を満足させてあげられない自分が、嫌になることが増えた。

 この頃から父は仕事が忙しくなったのか、一緒に食卓を囲む回数が減っていった。

 たまに一緒にごはんを食べても、あたしの成績を話題にすることはほとんどなくなった。

 小さい頃から、父はどちらかというと家では寡黙なほうだったけれど、あたしが成長するほどに、どんどん口数が少なくなっていった。

 その分、母の小言が増えた。

 いい点数を取って、お母さんを喜ばせたい、お母さんに褒めてもらいたい。

 でも、そう思えば思うほど、成績は下がっていくような気がした。

 同じような問題を続けて間違えて、母に叱られるようにもなった。期待に応えられない自分が、恥ずかしくて悲しかった。

 あたしにはお母さんの子供でいる資格なんてないのかも......。

 ときどき、そんなふうに思うようにもなった。

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いい子でいるのが辛くなった......(写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/