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作家・出石大の思い出 第1回

出石さんが亡くなった

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「出石さんが亡くなったそうです」

 2013年12月。その一報をくれたのは、フリーライターの島田文昭さんだった。出石大さんは在京の暴力団に所属していた(記者が知己を得たときには既に絶縁されて随分経っていた)悪い意味で昔気質のヤクザだった。故人を貶めるつもりはまったくない。地獄にいるだろう出石さんがもしこの原稿を見る機会があれば、確実に「悪い意味で」と書いたほうが喜んでくれるだろう。

「おい、李ぃ。悪い意味でってのは、どういう意味だ、この野郎!」という声が今にも聞こえてきそうだ。

「いや、だって全部罪状恐喝と傷害ですよね、たしか、多分。いや絶対。あれ、(ヒロ)ポンはなかったでしたっけ?」と記者。

「ぁあ? ナメてんのか、この野郎! 俺はポンでパクられたことはねぇぞ。今も持ってるけどなっ」

「ぇえ? マジですか~。勘弁して下さいよ。職質されたらどうするんですか。僕、リーマンなんですから」

「大丈夫だよ。全部血管の中だから。3億円分♥ ガハハハ」

「なんだぁ。ヤダなぁもう。脅かさないで下さいよ」

 出石さんは常にこんな感じだった。記者がこんな軽口を聞いても、口調はアウトレイジだが全部笑いに換え、その後、ポロッとウンチクを耳打ちしてくれた(アウトロー過ぎて、中々一般社会で役立つとは言い難いウンチクではあったが)。

 出石さんと初めて会ったのは、出石さんの訃報を教えてくれたライターの島田さんに紹介してもらったのがキッカケだ。もう何年前だろう。記者はまだある出版社で雑誌編集をしており、その席には今では某新聞社に勤務の編集長がいた。記者のサイフでは心もとなく(心もとないのはサイフだけではなかったが)同行してもらったのだ。そこには出石夫妻、島田さん、雑誌編集長、記者の5人。場所は都内にある某鰻屋である。

 第一印象は「怖ぇ~」だ。そこに現れたのは容貌魁偉な、板垣恵介御大の『餓狼伝』に出てきそうな見るからにヤクザがいた。スキンヘッドでトレンチコート着て、スカーフェイスで小指は欠損している。サングラスはティアドロップ。コートを脱いだら、ハイウエストのスラックス。

 まんまである。

「で、何が知りたいんですか?」
出石さんは声にドスをきかせ、そんなことを言った。「何が聞きたいんですか?」だったかも知れない。今もそのドスのきいた声を思い出すことができるが、その時は「超怖ぇ~」という印象だったのに(なんせ過去にヤンキーも暴走族もまったく縁もなかった記者の人生初ヤクザ体験である)、今は「かわいいなぁ、出石さん」という思いが先立ってしまう。

 もちろんナメてるわけではない。そうではなく、記者の如きアウトローと無縁の人間にも礼を尽くし「怖ぇ」と思わせる気遣い(まさに「おもてなし」!)が出石さんのかわいさだったのだ。

 と、いくら故人だからといって、アウトローのそんな一面を「かわいい」と思えるくらいスれてしまった記者だが(繰り返しになりますがナメてないです。いつか地獄で小突かれ泣かされるくらいは覚悟しておこう...)、全国津々浦々の裏社会を覗かせてくれ、記者を多少スれさせてしまったのが他ならぬ出石さんだった。

 少しスれてしまった記者が、出石さん亡き後出した結論は「やっぱりアウトローは怖いから本で読むくらいにとどめよう」だったのだが、出石さんは今でも自分の人生の先輩であり、師の一人だったと思う。

 ということで、次回は出石さんが記者に聞かせた拳銃(チャカ)の話を書きます。


(取材/文=李白虎)



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出石大さん、本当にありがとうございました。さよならは言いません。いつかまたお会いする日を楽しみにしています。(写真提供=島田文昭)