510のエンジンは二度と動かなかった......
そしてむかえたレース本番。
順調にスタートした3人の510ブルーバード。日本の民間人初のレースが始まったのである。
数日を走り、サハラ砂漠に入る。東西南北どこを見ても同じ景色。砂漠と太陽しか見えない。
他の車はもうこの時点で散り散りになっており、すべての車が単独走行を余儀なくされていた。方位磁石だけが頼りだった。
正直、どこにむかって走ればいいかも分からなかった。どうしようもないほどの熱風が吹く。体力的にも限界を感じていた。彼ら3人は世界一過酷なレースをあらためて実感した。
その時だった。
510ブルーバードのエンジンが停止した。
多量の砂が入ってしまったたエンジン。何をどうやってもエンジンはかからない。
チーム費があればエンジニアや修理工を雇える。部品にも困らない。だが、そんな金は3人にはない。
そして、エンジンは二度と動かなかった。
その場で1日を過ごした。悔しかったが、3人に不満はなかった。完走出来なかったが、ここまでは来ることができた。
奇跡は起きなかった、ではなく、今、ここにいる事が奇跡であり、夢が叶わなかったのではなく、3人が夢に生きたという事実が、今、ここにあった。
もっと金があれば修理工を雇ってエンジンの修理部品を入手して再スタート出来ただろう。
どこを見ても変わらない砂漠と太陽という景色が、完走出来なかった彼ら3人にあらためて教えてくれた。
人生とは何か?
金で買えないものが人生じゃないのか。
我が人生に一片の悔いなし
日本に帰国した3人に社会的に誇れるものは何もなかった。
金も無かった。女もいない。だが、3人の目は、死んだ目とは違う、まさに生きる人間そのものの目をしていた。
それから何十年も過ぎ、3人ももう70歳になった。
2人はとっくに年金暮らしの隠居生活をしているが、何十年も経った今でもラリーの事を活き活きと話す。
我が人生に悔いなし、と。
あのラリーに出てからは、人生をつまらないと感じた事は一度もないという。
そして、あの日、メインドライバーとしてサハラ砂漠を走ったもう1人のお爺さんは、今でも、職業ドライバーとしてハンドルを握り続けている。
本人曰く「医者に止められても俺は車に乗るぞ。ただ運転手で医者に止められた話はあんまり聞いた事がないけどな」
人生とは何か? 人間とは何か?
彼ら3人が、強いぐらいにとてもまぶしく見えてならなかった。
(取材/文=藤原良)

3人の夢を乗せて走った、日産510ブルーバード。日産は1963年にサファリラリーに参加した