>  >  新装改訂版『尼崎の一番星たち』外伝!絶讃発売中!ー裏街道ー
ーある日の面会室ー

新装改訂版『尼崎の一番星たち』外伝!絶讃発売中!ー裏街道ー

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ーある日の面会室ー


東京の兄弟分、Sの兄弟と二人で大阪拘置所に座る文政に面会へと行った時の話だ。


 彼の面会時間は、通常の未決囚とは異なり、異様に長い。面会の立会につく専門官が仮に「もう、そろそろええかなっ」などと言おうものなら、
「おいこらハナクソ、何話の腰おっとんねん。オドレの腰もおったろかいっ!」と彼ならいいかねないし、実際やりかねないので、そんな野暮ったいことを刑務官も言ったりはしないのだ。


 その時も、そうだった。通常の面会時間などゆうにオーバーしていたのだが、文政節はフルスロットル。一向に終わる気配もなく、ブンブン回しきっていた。
 そこに、暗い影など微塵もなかった。


 3人の会話の隙間に生まれた空白を合図に、そろそろ席を立つタイミングとなったことを私もSの兄弟も感じながら、腰を浮かせかけた時だった。
今まで、底抜けに明るい笑顔だった文政の表情が一瞬硬くなり、空白を埋めるように口を開いた。


「兄弟......実はな、昨日、アボジがなくなっての」


 少し顔を渋めながら、たった一言だけ、私たちにそう告げたのだった。


 文政の涙というものを私は見た事がない。多分、誰も、彼の涙を目にした者はいないだろう。
 この時も、彼はそう言った後に、立ち上がると、いつもの底抜けに明るい表情に戻っていた。
 だけど、私は知っていた。彼がどれだけ、オモニとアボジを愛していたか、ということを。
 かける言葉がみつからないでうつむく私とSの兄弟を見て、彼はアクリル板の向こうで、笑い飛ばした。


「何を2人とも辛気臭い顔しとんねん。あんなぁ、裏街道歩んどる時から、そんなもん覚悟のうちや。心配せんかて、かまへん。なんも、変わりない。変わりないから、大丈夫や」


 口で言うほど、大丈夫ではないことを3人とも分かっていた。分かっていたのだが、文政という男は、愚痴というものを嫌う。
 何かを口に出せば、愚痴になってしまうと思っているのだ。
 強がっているとか、いないとか、そういう次元の話ではない。
 男だったら、口に出せない言葉というものがある──文政は、そう言いたいのだ。
 私は、心の中で彼に、(兄弟、辛いやろうけど、乗り越えてくれよ......)と祈りながら、面会室をあとにした。


 かくいう私も、後に文政と巡り合うことになる留置場生活中に父親を亡くしている。
 その時には、すぐに弁護士が飛んで来て、執行停止の手続きをとることを告げてきた。
 だが、私は結局、執行停止の申請を出さなかった。
 いや、出せなかった。
 どのツラ下げて親の葬儀に参列できるというのだ。
 親族に合わせる顔なんてあるか。
 ただでさえ現役時代だったので、親族間の「寄り合い」にすら呼ばれていなかったのに、執行停止で留置場からあらわれてみろ。さらに親不孝を重ねるだけではないか。
 私は弁護士に執行停止の手続きを断ると、留置場に戻り、親不孝を心で詫びた。


 数日後、母から届いた電報にはこう書かれてあった。


「あんたは何よりの親不孝です。葬儀は無事に終わりました。罪を清算し、綺麗な身体になったら、家に線香を上げに来なさい」


 前刑の8年間は、私のことを必死になって支えてくれた母だったが、その懲役の4年間は一度も母は面会へと来なかった。
 母の気持ちは痛いほど分かる。
 それが、私の胸をギュッとしめつけてきたのだった。


 かえりみて、一般社会からみれば、いくらヤクザ稼業から足を洗ったとはいえ、社会人としての私などまだまだであろう。何の足跡も残せていない。
 だが、今の姿、そして私の手で作った家族を見せることが父にできていたら、最期にたった一つだけど親孝行ができていたかもしれない。


 死んでしまった人にできることなど何もない。寒い冬の日に、墓石へ毛布を被せたところで、温かくなったと喜んでもらえるわけでもない。
 だが、気持ちは届くもしれないと思い、毎月の月命日には、嫁と子供たちを連れ、墓前に手だけは合わせにいっている。


 その背中を私に見せてくれたのが、引退された渡世の親分であった。


 それから、文政は一度もアボジの死について触れていない。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)