>  > 義賊か、それとも悪党か。 "しばき隊"とは何だったのか? シリーズ"しばき隊の真実" 第六回
第六回 8・15 在特会/純心同盟・飯田橋集団暴行傷害事件その後について (上)

義賊か、それとも悪党か。 "しばき隊"とは何だったのか? シリーズ"しばき隊の真実" 第六回

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第六回 8・15 在特会/純心同盟・飯田橋集団暴行傷害事件その後について (上)

 ヘイトスピーチ(差別扇動表現)が社会問題化し、世間から広く人種差別団体だと存在を知られるようになった『在特会(在日特権を許さない市民の会)』。在特会は殊更に自分たちを市民団体だと名乗り、ヤクザとの二足の草鞋や暴走族上がりなどの人間たちが多い既存右翼団体を否定した。
 しかしながら在特会は市民を謳いつつも、排外主義から暴力性を剥き出しにし、差別意識からの犯罪行為、ヘイトクライムを乱発するようになる。
 かねてから在特会は、犯罪行為として裁かれている、いないにしろ2007年1月の活動スタートから数々の事件を起こしている。有名なものでいえば2009年12月の京都朝鮮学校の子供たちにヘイトスピーチを浴びせた事件、2010年4月の徳島県教職員組合への業務妨害事件だろう。在特会は、両事件共に刑事事件として裁かれ有罪判決を受けている。民事訴訟においても許されない差別行為だと多額の賠償支払い命令が出されたのだ。
 だが、それら以外にも在特会はとんでもなく酷い差別行為を数多くしてきた。そして、やがて在特会の暴力は、差別反対を訴えカウンターをする『しばき隊』、つまり私にまで襲い掛かってきたのだ。
 
※注......しばき隊とは、在特会などの人種差別団体に対し、カウンターと呼ばれる抗議行動をする『レイシストをしばき隊(2013年9月解散)』、『男組』、『C.R.A.C.(クラック)』、『OoA(オーオーエイ)』、『憂国我道会』などのいくつかのグループ、そしてどこの集団にも属さないでいる人々の総称である。

 全国報道にもなったので知っている方もいるかもしれないが、2014年8月15日に起きた、在特会や関西の中心的な人種差別団体『純心同盟』等による、「飯田橋集団暴行傷害事件」。私は襲撃をされ集団リンチに合い、肋骨骨折など全治2~3ヶ月の重症を負った。100人以上に囲まれても私はあえて非暴力を貫きサンドバッグになってボコボコにされた。嘘じゃなく顔面もパンチングボールみたいな状態となっていたし、今思い出しても笑ってしまう。この事件について詳しく書いた作品は、第26回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」に入選し、インターネット上にもアップされている。無料で読めるのでそちらを見て頂けたら幸いだ。

※第26回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」入選作
在特会壊滅への道
http://www.kinyobi.co.jp/news/?p=3479

 今回は、飯田橋集団暴行傷害事件のその後について書きたい。実は私が殴られることによって生まれた最大の成果とは、差別主義者が家宅捜索や逮捕をされダメージを受けたことではない。この事件をきっかけに、ある人物が差別活動から足を洗って立ち直り、幸せになってくれたことだった。
 2014年8月15日に起きた飯田橋集団暴行傷害事件から約2年後の2016年7月14日。私はこの事件は単なる傷害事件ではない、差別に基づいたヘイトクライムだと桜井誠(元・在特会会長)、水谷架義(元・純心同盟)、藪根新一、麻生照善、N氏に対し、東京地裁に訴状を提出し民事訴訟を起こした。合わせて桜井誠に対しては、その後にツイッターに書いたデマについても提訴した。暴行傷害やデマの流布が人種差別的動機でおこなわれたことを、裁判で明らかにするためだ。
 そうして2016年8月26日。裁判の第1回期日を迎えたのだが、ある出来事に私は驚いた。裁判が始まるといきなり、被告の1人であるN氏が陳述をおこない、暴力を振るったことについて私に謝辞を述べたのだ。さらに、過去に差別的な活動をしていたことを陳謝し、在日コリアンの方々に対して反省まで表明したのだ。私はN氏が2014年10月25日に逮捕をされてから差別活動に一切参加しなくなっていることは把握していたし、有罪判決を受け出所した後にはインターネット上で謝罪文を書いているのも知っていた。共通の知人を通じて、申し訳ないことをしたと謝罪したいと考えている旨も聞いていた。けれども、直接会って話したわけでもなかったので、まさかここまで真摯にお詫びをされ、誠意ある対応をされるとは思っていなかった。
 差別主義者だった人間が、ここまで改心したケースを私は知らない。しかも公の場である裁判において、これ程までに堂々と差別活動との決別を宣言したのである。私が見てきた限り、在特会の連中は反省など微塵もしない心の腐った奴らがほとんどだった。身元を割られたり、逮捕をされたりして追い込まれ、差別活動を離れる人間は、ただ逃げ出すだけだった。差別活動をしておきながら、離れるにあたってやってきたことの責任を取る姿勢は皆無だった。
 差別主義者が活動を辞めても、傷つけられてきた被害者の心の傷は癒えない。安全圏で差別をして、消えいく際には何らリスクを負わない。私はいつも、このことについて腹立たしく感じていた。謝罪をし償いをしても許されるとは限らない。許すかは被害当事者次第であるが、せめて自らがおこなった差別行為が誤りであり過ちであったと自覚し反省はして欲しい。私は常日頃、それを考え苛立っていた。皮肉なのか、そのことを実現したのが私を殴った相手のN氏であったのだ。
 私は裁判で、在日コリアンに浴びせたヘイトスピーチは紛れもない差別であり、取り返しのつかないことをしてしまったと喋るN氏を見ながら目頭が熱くなった。正直、私に対してもっと謝れよと思うぐらい、在日コリアンへお詫びをしまくっていたのだ。
 裁判後もN氏は、在日コリアンの被害者に直接会って謝罪をしたり、手紙を出したりもしていた。私はその姿を見て、N氏を許したいと思うようになった。甘いと思われるかもしれないが、私もN氏を怒れるような人間ではなかった。特に私の場合は、詐欺師や女衒まがいなことをしてきた過去がある。更生の場を作らなかったら私自身の存在否定にもなる。けれども、私一個人が許せる問題ではなかった。そのため私は、N氏と和解するかしないかで葛藤し頭を抱えた。本当に、心底、悩み苦しんだ。
 だが、予想外のことが起こった。何と、N氏の懺悔を受け止め、許してくださる在日コリアンの方々が出てきたのだ。そのことにより、どう判断していいかという苦境に陥り苛まれていた私は肩の荷が下りた気持ちになった。これで、心置きなく和解できる。
 私はN氏がもう大丈夫だと信じて和解をした。楽観視し過ぎだと言われるかもしれないが、私が望んでいたのは決してN氏を苦しめたり、金銭を得ることが目的ではなく、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムは過ちだったと気付き、反省し、抜け出して貰うことだったからだ。


山口祐二郎
1985年、群馬県生まれ。「全日本憂国者連合会議」議長、「憂国我道会」会長。作家・活動家として活躍。
山口祐二郎公式ツイッター  https://twitter.com/yamaguchiyujiro