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山口祐二郎,明治政府,江戸時代,部落,日本国憲法

山口祐二郎の『皇后陛下の被差別部落出身説を斬る!』(下)

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●宮内庁が気にしたこと

 いったい宮内庁は何をそこまで調査したのか。有力な説は、世良田との関係である。もともと世良田のある一部の場所には被差別部落が存在し、かつて悲しい事件も発生している。それは広く知られている1925年に起きた「世良田事件」である。
 世良田事件とは、1922年に結成された部落解放運動団体『全国水平社』による差別発言に対する抗議・糾弾に端を発した、被差別部落襲撃事件だ。関東大震災後の混乱で起きた朝鮮人大虐殺と同じように、被差別部落民による抗議と糾弾を恐れた世良田の村民による自警団が差別心と恐怖心により、被差別部落民を襲撃するヘイトクライム騒動だ。
 実はこの、世良田は徳川発祥の地としても知られ、世良田東照宮という神社がある。日光東照宮から古社殿を移築し作られた世良田東照宮は、徳川家康を祭神としているのだ。なぜかというと徳川家康は、鎌倉時代に清和源氏の新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称したためだ。元の名前の松平元康から改名し徳川家康になったのは、松平家のままでは朝廷から官位を貰うことは難しく、朝廷に三河国(愛知県)の領主であることを認められるのは困難であった。そのため新田義重の四男である義季を、得川(徳川)氏と世良田氏の始祖だとしたのだ。結果として特例措置を得て、三河国を支配下に置くことに成功したが、歴史資料などによって新田氏、世良田氏系統の清和源氏の得川氏が、徳川家康の家系だと実証はされていない。
 世良田駅付近や世良田東照宮周辺の至るところに徳川発祥の地と記された幟や看板が出されているが、私が世良田の地元住民たちに尋ねると驚くべき答えが返ってきた。世良田で生まれ育ち、地元で整備工業をする男性(70代)は笑いながら言う。
「正直、世良田で家康が生まれ育ったかは怪しいよ。家康の描いたデマだと思うよ。金や出世のために無理矢理、世良田にテコ入れをして新田氏に上手く繋げたんだよ」
 また、世良田の神社関係者(60代)男性は笑いながらこう話した。
「新田氏に繋げれば、源氏の名門、清和源氏の流れになるからね。天皇の系統にも繋がるわけだから、よく考えたもんだ」
 出世するためには、家柄も偽らなくてはいけなかった徳川家康。幼い頃から人質として織田家や今川家に捕らえられ、辛酸を舐めた過酷な経験の後、出自を偽ってまで成り上がり天下統一を果たした。その負い目から厳しい身分制度を布き、自らの立場を強固に守ろうとしたのではないか。
 歴史を遡れば、新田家系といえば、徳川家康も利用した皇族の流れを組む清和源氏の清和天皇の系統なのだ。

●正田醤油敷地内にある2つの神社

 館林駅西口すぐの正田一族が経営をする正田醤油敷地内には2つの神社がある。正田稲荷神社と白山神社で、本社、研究所には正田稲荷神社が、道路を挟んだ場所にある館林工場には白山神社が存在する。
 白山神社は、被差別部落との繋がりが深いとされている。江戸時代からの被差別部落民の頭領、歴代の穢多頭・弾左衛門が強く信仰したからである。
 なぜ他の神社ではなく、白山神社が信仰されたかというと、部落差別というと就職、結婚などが知られているだろうが、信仰の部分でもそれはあった。身分制度が実施されていた当時は被差別部落民は不浄な存在とされ、神社の鳥居をくぐることすら許されなかった。1871年の明治政府による賤民解放令後も、根強くそれは残ったのだ。
 正田醤油敷地内の白山神社が工場側にある理由。それは過去において正田醤油製造工場で作業をする多くの人間が被差別部落出身者だったからだろう。今でも工場付近では醤油の強い匂いが漂う。昔は被差別部落出身者は、食肉解体業、皮なめし業、葬儀業、清掃業など、死や匂いの強い仕事と関連することが多かった。正田醤油の工場でもそうであったのだ。
 本社、研究所敷地内で綺麗に整備されている正田稲荷神社。それとは対照的に工場敷地内で手入れがされていないように見える白山神社。2つの神社の場所が明確に歴史を物語る。正田家がかつての被差別部落出身であれば、このような敷地内の神社のあり方になっていないはずだ。

●真の部落解放を

 結論を言うと皇后陛下被差別部落出身説はデマである。 
 皇后陛下がかつての被差別部落出身であれば、現在も根深く残る部落差別の解消に大きな影響を与えたかもしれない。しかし、真相はそうではなかった。亡くなられた三笠宮崇仁親王殿下が「菊のカーテン」と皇室を表現した通りではないか。
 平成28年8月、今上陛下は生前退位のお気持ちを表明され、新しい皇室のあり方を国民とともに考えたいと提起している。平成31年4月30日に退位予定だ。
 時代は変わる。いつの日か、被差別部落出身など関係なく婚姻関係を結べる日本社会に、皇室にならなくてはいけない。

山口祐二郎
1985年、群馬県生まれ。「全日本憂国者連合会議」議長、「憂国我道会」会長。作家・活動家として活躍。
山口祐二郎公式ツイッター  https://twitter.com/yamaguchiyujiro