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作家の勇み足

山口祐二郎の『皇后陛下の被差別部落出身説を斬る!』(上)

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作家の勇み足
 
 今もなお、日本社会に根深く残る差別の一つで部落差別がある。日本では2016年12月に部落差別解消推進法が成立したが、意義がある法律なのか、その是非が激しく議論されている。
 部落差別の起源は論争になっているが、古代からの穢れ観念や不浄観念などの民衆意識から始まり、中世の鎌倉時代には身分制度として下層住民への差別が確認できる。江戸時代には武士・平人・賤民(かつては士農工商と言われていた)といわれる身分制度が存在したが、その最下層賤民に穢多(えた)、非人(ひにん)と呼ばれ人間扱いされない被差別部落民がいた。被差別部落民は一般に身分、職業が固定され、他地域への住居移動も許されなかった。
 1871年、明治政府は賤民解放令によって身分制度を廃止したが、それは表向きの虚構に過ぎず、実際にはその後も、かつて穢多、非人と呼ばれた人たちは差別をされた。それらの人たちが住む地域は特殊部落と特別視され、そこに住んでいる、もしくは出身地というだけで、新平民などと蔑まれ、酷い差別に晒されたのだ。被差別部落とは、穢多・非人など旧賤民の居住地として歴史的根拠と関連をもつ地域でもあるのだ。
 もし、日本国憲法で日本国の象徴、日本国民統合の象徴とされている天皇陛下の正妻、皇后陛下がこのような歴史的背景を持つ被差別部落出身だとしたら驚くだろうか。
 現在、皇后陛下の被差別部落出身説は都市伝説のように広まっている。伝説のでどころは、格式の高い大宅壮一ノンフィクション賞の受賞者である上原善広氏の執筆記事だ。皇后陛下の被差別部落出身説の真偽と部落差別撤廃は関係するのだろうか。
 上原氏といえば、『新潮45』(2011年11月号)において「最も危険な政治家 橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」と題し、現在はタレントとして活躍する橋下徹氏(元大阪府知事・市長)が被差別部落出身で、ハシシタ姓からハシモト姓に変えた経緯、父親が暴力団員だったことなど極めてセンシティブな個人情報を明らかにしている。
 橋下氏の政治的スタンスに対する批判はもちろんあって然るべきだ。しかしながら上原氏の論旨は、橋下氏の出自を理由に乏しめているのが明白で、悪意に満ちた差別的な文章である。言語道断だ。
 事実、部落解放運動家で『にんげん出版』代表の小林健治氏にも「差別売文家」であると糾弾されている。
 本稿では上原氏が広めた皇后陛下の被差別部落出身説を検証するが、それは出自を暴き差別するような意図では断じてない。人間、どの地域に生まれようが差別されてはならないはずだ。被差別部落への配慮、考慮をしつつ、この問題の真相を探ってみたい。

●作家の勇み足

 まずは、上原氏の記事を引く。
『噂の真相』(2004年3月号)において、氏はこう書いている。
〈ある部落出身者が皇族に嫁いでいるという事実だ。皇族と部落が重なっている、まさに日本最大のタブーなので、報道されたことは一度もない。ある関係者からその確証を得て今回、わたしは実地にその部落を見に行ってきた〉
〈つまり、問題は、皇族ですら、部落民を身内として受け入れているという事実があるということだ。だからこの点に関しては、意外に皇族の方が進歩的といえるのかもしれない。この結婚に関しては、当の皇族本人が強く希望したため、宮内庁をはじめとする周囲も押し切られたとされている。まさに快挙といえる話ではないか〉
氏はまた、『実話ナックルズ』(04年7月号)で「群馬県T部落」「群馬県T駅」「昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていた」「ここから女性が一人、皇族に嫁いでいる」などと踏み込み、次のように記している。
〈まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという〉
〈老舗の醤油屋も現在彼の地にあるが、その醤油屋から分家してできたのがN社である。「こな屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、故に彼の地ではうどんが名物となっているが、これは不味いのであまり有名でない。醤油もそう良質な醤油でなかったと聞いている〉
〈休刊した「噂の真相」三月号でも書いたが、この事実を考えると、私たち「平民」よりも皇族の方が先進的ではないかと思うのだ。なぜなら皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味しているからだ〉
〈私はこの事実を知ったとき「さすがは象徴天皇である」と、心の中で喝采した〉
〈こうした事実を、この稿で堂々と具体的に公表できたらいいのに。そして地名も堂々と公表することができたとき、部落解放は成されたと見ても良いと私は思う〉
 
●成婚前に身元調査

 ここまで書かれれば、上原氏が言わんとする部落出身者の皇族が誰か、群馬県T部落がどこかが丸分かりではないか。イニシャルにして書いているのが非常に巧妙というか、陰湿である。
 上原氏が言いたいのは、部落出身の皇族とは現在の皇后美智子陛下であり、群馬県T部落とは湿地帯の多い群馬県館林市だということであろう。皇后陛下の前姓は正田で、実家の正田家は館林市の館林駅から歩いて10分程度の大手町に今もある。
 N社とは日清製粉であり、老舗の醤油屋とは正田醤油である。両方とも正田一族が経営してきたので、皇后陛下は粉屋の娘と呼ばれてきた。館林市の名物はうどんで美味いし、正田醤油は格別の美味である。不味いとは失礼極まりない。
 では、はっきり書こう。皇后陛下は華族出身ではなく、民間から初めて天皇家に嫁いだ女性として類まれな存在であったが、被差別部落出身者ではない。確かに館林市にはいくつかの被差別部落が存在するが、正田家の場所は明確に異なる。
 そして、私が小林健治氏に教えて頂いた、1970年代の正田家にまつわるエピソードをひとつ紹介したい。それは日清製粉の正田巌氏(美智子皇后の兄)の妻・淑さん(元内閣総理大臣・濱口雄幸の孫娘)にまつわる、ある差別発言事件。
 部落地名総鑑購入企業の一つに日清製粉があった。広島県のある被差別部落出身の女性が、現在の皇后の兄にあたる正田巌宅に電話をした時のことだ。
「天皇家にお嫁に行くぐらいのお家柄であって、部落地名総鑑など日清製粉が購入されるわけがございませんわねぇ」と皇室に尊敬の念を抱くあまり、電話を入れた。たまたま正田家の方は巌の妻淑さんが電話をとった。
「だって、部落の人のことを調査しなければならないのですから、部落地名総鑑を購入するのは、当たり前でしょう」という返事だった。
 ここからもつれたというわけだが、皇室にかかわる縁故のものが起こした差別事件とあって、自民党首脳も頭を痛めたという。(小森龍邦著『解放運動の再生』より) 
 つまり、皇后陛下が、被差別部落出身者であったならば皇后の座になれていなかったのが真実であろう。悔しいけれども、皇后陛下の出自はご成婚が決まる前、徹底的かつ綿密に調査されたという。そのことは天皇陛下の同級生が記した『美智子さまの恋文』(橋本明著 新潮社)でも書かれている。
 当時の状況を、地元館林市住民(60代男性)は堂々と語る。
「調査には館林市まで来て、同級生や学校の先生も話を聞かれていた。正直、私たち地元人からすれば、皇后は部落出身なわけがない遠い存在な名家の娘だよ」
 つまり、宮内庁により皇后陛下の家柄は洗いざらい調べられ、1958年にやっとご成婚が認められたという経緯があったのだ。
 正田醤油敷地内にある正田記念館の資料によれば、正田家の系譜を遡ると源義家の孫で新田氏の祖と呼ばれる新田義重の重臣、生田(庄田)隼人を祖とし、江戸時代に新田郡尾島町世良田(現・群馬県太田市世良田町)に移住し、正田姓を名のるようになった。それから館林市に移り住み、米穀商から改めて1873年から醤油業を始めたという。
館林市で代々、飲食店を経営する男性(50代)は呆れた顔で言う。
「うちは親も館林市だから詳しいけど、美智子様は違うよ」
 文献や、地元住民からしても、正田家は代々米問屋を家業としてきた近郊きっての名声ある富豪商であったのだ。
 宮内庁長官の下で東宮御教育常時参与として天皇陛下(当時 皇太子殿下)の教育責任者であった小泉信三氏いわく、皇后陛下が皇太子妃になる際には正田家のルーツを300年遡って調べたという。郷土史家によれば、やはり正田家の祖先は源義家の孫で新田義重の重臣、生田隼人。文献で確認できるのは300年程前の庄田六三郎氏(1682年没)までだったという。だが、地元住民や正田家を古くから知る関係者に念入りな聞き込み調査もしていたわけだし、そこまで調べていたのだから被差別部落出身者という証拠、可能性は見つからなかったのだろう。そして嘘ではなく新田家系であったのだろう。
 


山口祐二郎
1985年、群馬県生まれ。「全日本憂国者連合会議」議長、「憂国我道会」会長。作家・活動家として活躍。
山口祐二郎公式ツイッター  https://twitter.com/yamaguchiyujiro