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自称、世界チャンプ

新装改訂版『尼崎の一番星たち』外伝!絶讃発売中!ーヤンキーがいた街角ー

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自称、世界チャンプ


 まだ、文政の名前すら知らなかった平成の初頭。赤信号みんなで渡れば怖くない、ではないけれど、タクシーはみんなで乗ればタダになると錯覚していたフシがガキの頃の私にはあった。


 ある日、いつものようにその制度を利用しようと、悪友5人と4人乗りのタクシーに無理やり乗り込んだ。
 運転手の顔を見ると50過ぎの、人が良さげなおっちゃんである。
 ぶっきらぼうに私がそのおっちゃんに目的地を告げると、おっちゃんはニコニコしながら、タクシーを走らせた。
 それを合図に、私たちは服の袖にしのばせていたトルエン入りのビニールを取り出し、吸引作業に没頭し始めた。
 タクシー乗り逃げと車内でシンナーは、当時の私たちの間ではワンセットであった。
 腐りきった脳味噌が少しずつ少しずつ溶け始め、ラリりかけてきた頃、おっちゃんが柔らかな口調で語り始めた。


「この前もね、10代後半くらいかな。ヤンチャな子たちが5人で乗り込んできてね、こともあろうに、タクシーの中でシンナーをやり始めたんだよ」


 はじめ、私たちのことをあてこすって言っているのかと思い、私は一瞬シンナーの吸引作業を停止させ、心の中でつぶやいた。


(ばかめ、こっちは乗り逃げもするわいっ!)


 どこまでも愚かなクソガキである。


「でね。いくら注意してもきかないからさ、おっちゃんも年甲斐もなく、そこの駐車場あるでしょ、あそこの路地に連れていってね、とっちめちゃったんだよね」


 ほかの悪友たちは作業に没頭中だったので誰もおっちゃんの話を聞いていなかったが、私はおっちゃんの、「とっちめちゃったんだよね」という言葉に敏感に反応してしまった。


「なんや、おっさん強いんかいっ」


 ちょっと凄んでしまったと思う。大分と脳味噌が小さくなってたことがうかがえる発言だ。


「ま、強いっていうか、世界チャンプだからね~」
 世界チャンプ???
「なんの?」
「あ~、ボクシングの。知らないかな、白井義男ってぼくのことなんだけど、お兄ちゃんたちのお父さんにでも帰ったらきいてごらん。知ってるから」


 どひゃ~である。
どえらい大物の運転するタクシーに乗り込んでしまったではないか。
 ......だが、そんな世界のチャンプがなぜタクシーなんて転がしている?と思いながら、車内のダッシュボードに備えつけられているネームプレートに目を走らせた。
 すると、山本ナンチャラとあるではないか。


「あの、おっちゃん、山本って書いてあるけど......」


 私が疑問を口にすると、チャンプは答えた。
「山本は本名。白井義男はリングネーム」
 そして、タクシーの運転手をやっている理由をチャンプは説明してくれた。


「実はね、今こうして、タクシーの運転手をしながら、世界チャンピオンになる若い人材を探しているのだよ」


 練習生募集の貼り紙を貼ればいいんじゃないのか、なんて野暮なことは聞かない。て、いうか、
「ええええっっっ!!! そうなん! うそっ! なななななっ、オレ世界チャンプになれる? ななななっチャンピオンになれる?」
 なれるか。


 チャンプは黙って前方の赤信号に合わせれて、タクシーを止めると後部座席の私を振り返り、力強い目で私を見た。
「鼻を3回潰される根性はあるか」
「はいっ! ありますっ!」
 我ながら本当、バカで申し訳ない。
「だったら......獲れる。世界を獲れる」
 獲れるか。
 だが本人は至って本気である。
「でも、シンナーなんか吸ってたら無理ちゃうの......?」


 私はそっとトルエン入りのビニールをポケットの中に隠すと、芽生えた不安を口にした。
「何言ってんだか。シンナーを吸いながら世界チャンピオンになった奴なんてゴロゴロいるよ。大事なのはここ。気持ち、ハートだよ、ハート」
「ほんまにっ!」
 まるで、私はベルトが目の前に見えた気がして小さな胸を興奮させた。もう少し手を伸ばせばベルトに手が届くのではないかと (多分、トルエンで幻覚を見てたのだろう)。


「オレ! 世界チャンピオンなるわ!」
「そうだ! その意気だ! 走れ! 今日から走り込め!」
「はいっ!」


 走るんだジョー!とまでは言わなかったが、そうこうしているうちに目的地にたどり着くと、私たちは固い握手を交わし合い、しっかりタクシー料金を支払って車から降りた。


 後年、ブラウン管越しに初めて白井義男氏を観たのだが、当たり前の話、チャンプとは似ても似つかわなかった。
 だが、チャンプのお陰で、タクシー乗り逃げという罪を犯さずには済んだのは確かだ。
 偉大なるウソつき、いや偉大なるチャンプと私のエピソードである。


 ただの笑い話とも言うが......。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)