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第4章 無間

新装改訂版 沖田臥竜Presents!小説『死に体』 第38話

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■ 第4章 無間


(九)


 宮崎が彼岸の人となってしまって、3ヶ月が経とうとしていた。
 遭難しそうなほど酷寒な日々は過去のものとなり、死刑囚も世間の人と同様、厚かましくも、春という季節を迎えていたのだった。
 そんな中、オレは小机の上に広げた学習帳を疑視して、自分でつけている過去の受信記録を見直していた。
やはり、1週間もゆまから手紙が来なかったことは、今までなかった。昨日も同じように調べていたので、そんなことは判っているのだけれども調べずにはおれず、調べてはこうして、いてもたってもおれない不安に苛まれている、というわけだった。
 なにかあったのだろうか。2、3日、手紙が届かないことはあった。そんな時は決まって4日後に、まとめて3、4通の手紙が届けられた。
それがなにかの手違いで6日かかってしまっただけだ、と昨日は自分に言い聞かせて慰めることに成功した。それだけにその説を強引に、今日まで引っ張ってみようと努力したが、少し無理があった。
 なにがあったのだろうか。煩悩。社会では、こんなこと気にもならないどころか、電話一本でことは足りる。しかし、ここは地獄と呼ばれた四舎二階。社会の電波など、ぶっちぎりの圏外だ。取るに足らないことでさえ、即刻、死活問題に発展していった。
 人道にもとる行為をさんざん繰り返しておいて、よくもまあ、おめおめと笑ったり、哀しんだり、勝手気ままに生きられるものだ、と社会の人たちには怒られるかもしれないが、死刑囚とはいえギリギリ人間だ。感情はある。
 母からは「鬼の子」と言われてしまっているが、鬼ではない。
 血も涙もない獣に限りなく近いとはいえ、改後の見込みもまったくなし、と裁判官から太鼓判を押された身とはいえ、それでもかろうじて人間の気持ちを持っている。踏み外してしまった人の道の重大さに、処刑台へと上がるその瞬間まで苦しみ、何度も何度も後悔して後悔して後悔して、結局、殺されていく。死ぬ瞬間まで、殺されるぎりぎりまで、後悔を引きずる。それが、死刑という極刑の重さだ。
 あるハードボイルド小説の中で、ニヒルな主人公が、こんなかっこいいセリフを吐いていた。
「オレは、後悔をしない。たとえ首を括(くく)られることになったとしても、オレは自分のやってきたことに後悔はしない」
 素晴らしいよ。いつだって小説や映画の中の男どもわ。桃源郷へ出かけてしまった者ならいざ知らず、みんな後悔しておるのだ。それが、人の良心だと思う。
 誰もが生まれた時から死刑囚ではない。よく言われるけれど、みんな生まれた時は、例外なく赤ちゃんなのだ。
 人はそうそうなりたくても、心からのモンスターにはなれやしない。偽りながら、取り繕いながら、自分という配役を演じておるのだ。オレはそう思う。
 生きることが、どれだけ苦しいか。現実が、どれだけ辛いか。むしろ心がなくなってしまえば、とさえ思う。そうすれば、苦しまずにおれるから。至極、身勝手な言い分だけど、それくらい生きることが苦しい。
 なのになぜ、今もこうして生きたいと願うのか。それはたった1人でも、自分のことを、生きていて欲しい、と願ってくれるからだ。誰もまったくそう思ってくれなければ、すべての人が自分の死を望み続けているとすれば、今よりもっと生きるということが辛くて哀しいだろう。
 もしもだ。もしもかりに、ゆまに男ができたというのであれば、それでも構わない。よくはないけれど、構わない。結婚してしまっていても構わない。
 ただ、オレの身体が冷たくなるその日まで、オレを愛しているかのように演じきって欲しい。
 儚くても、夢を見させて欲しい。都合いいけど、このまま彼女に愛されていると感じている時の中で、首を括られたい。
 そんな権利がもうないのはわかっている。けれど、ボランティアだと思って、それに付き合い、見事な演技を見せて欲しかった。
 言ってることは、最低だ。男として情けない。でも、それが本心だった。
 もしも、死んだ後に次の世界があって、空の上から見守ったりすることができるのであれば、いつまでも、いつまでも見守り続けてみせるから。
 嘘でもいい。嘘ならば、最期の瞬間まで、その嘘を貫き通して欲しかった。


 週が明けても、やはりゆまからの手紙は、来なかった。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)