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第4章 無間

新装改訂版 沖田臥竜Presents!小説『死に体』 第35話

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■ 第4章 無間


(六)
 正月というのは、何も娑婆の人々たちだけに与えられたものではない。塀の中とはいえ、懲役囚だって楽しみにしている。
 それは、死刑囚とて同じだった。
 懲役囚のように、年が明ければ満期が近づくというわけではないが、どの凶悪犯もこの時ばかりは穏やかな顔付きになり、正月休みに支給される特別食を心待ちにしている。
 もう、死んでしまうことしか、現世にやり残したことはないとはいえ、それぞれが、もしかしたらこれが最期となってしまうかもしれない年越しを、ささやかに楽しんでいた。


 そして、いつも幸せな時間は、あっという間もなく過ぎて行く。絶望だらけの365日が、今年も薄気味悪く幕を開けた。
 来年の今頃も、こうして生きて新年を迎えることができるのだろうか。
 それは、オレにとって、縁もゆかりもまったくない法務大臣のハンコ次第だった。


 しかし、だ。目の前の奴みたいに、「そんなこと、からきし関係ないもんねっ」と言いたげに、死の淵をヒョウヒョウと徘徊する猛者も存在していた。
 鬼ガワラのことではない。四舎二階の宇宙人こと宮崎のことだ。
 平日の3日間。月、水、金の晴天の日に限り、オレを含めた社会。そして刑務所すらドロップアウトしてしまった死刑囚たちは、少しでも人間らしく死んで逝けるようにという当局からの細やかな配慮からか、運動場と偽り呼ばれている屋上のトリカゴのような所で、5、6名ずつに分けられ、アゴ(会話)に花を咲かせながら、日光浴と洒落込むことができた。
 周囲との交渉、雑談、コミニュケーションを一切剥奪された房の中で、大仏の如くチンと座り、ひたすら報われることのない無言劇を演じている者どもにとっては、人と話せる数少ない貴重な時間だった。
浅田のおっさんがお務めを果たしてしまったので、面子は鬼ガワラ、横山のやっさん、オレ。そしてくだんの宮崎と4名になってしまっていた。
 どうも外界は皆、平和にやっているのであろう。おかげで、なかなか運動メンバーが補充されてこない。
 目の前の宮崎は、先程から何がしたいのであろうか、と一生懸命観察しているのだが、もしかしたら人間でいうところの腕立て伏せをしているのではあるまいか。
 当人以外わからぬミステリーだが、オレには、腕立て伏せというよりも、爬虫類に生まれ変わった時の練習を今のうちからやっているようにしか見えない。くねくねくねくねと、気持ちすこぶる悪かった。日々、拘禁病のエボリューションに余念がなさそうだ。宮崎は、オレのような駆け出しの死刑囚には理解に苦しむハードな動きを常にとっている。
 周囲に目を向ければ、今日はバージョン1らしい鬼ガワラが、機嫌よく、横山のやっさんとたわいのない会話で盛り上がっている。これがバージョン2に入れば、口をへの字に曲げて喋りもしやしない。
 口をきかないだけなら、魔除けとでも思い、ほっとけばよいのだが、それが淋しいのだろうか。たまに、その存在をアピールするかの如く、岩のような拳でコンクリート塀をぶち、死刑囚と警備隊の刑務官を、「ひやっ」とさせてくれる。
 ちなみにこの鬼ガワラ。本名は普通に「前田さん」といい、鬼ガワラとは、オレの心の中だけの通り名だった、、、そのはずだった。だけど、常に口を滑らせてしまっている、横山のやっさんが2度ほど前田さんのことを「鬼ガワラさんっ」と呼んでしまい、前田さんから、
「こうらぁウメボシッ!おどれ、3ヶ月と2日前の水曜日の午前10時20分の運動の時にも、ワシのこと鬼ガワラって呼びくさったけれど、どういう意味じゃいっおうこらっ!!!」
と正確な日時まで指摘され、しどろもどろになっていたところを見ると、どうもオレだけがつけたコードネームではなさそうだった。
 鬼ガワラは、そのコードネーム通り、その風貌から顔面にいたるまで凶器化しており、歩く無法者というよりも、歩く無法地帯であった。
 一人一人が血みどろの修羅場を作成してきた殺し専門の集団の中にあって、その凶暴性、その凶悪性、その最悪性に至るまで、群をぶっちぎりで抜いている鬼ガワラであったが、異常性においてだけは彼の上位に君臨している者がいた。
 それが宇宙人。宮崎だった。
 鬼ガワラは、確かに四舎二階の中にあっても無敵だった。無敵だったけれど、秋葉原に棲息していそうな痩せぎすメガネの宮崎も、間違いなく無敵だった。不沈艦であった。彼を死刑という言葉で精神的に沈めようとしても無理だろう。
 宮崎の事件については問わない。しょせん、こちらも人に語れぬ人殺しだ。「まぁ、なんてひどいことを」と眉をひそめてみたところで、目クソ鼻クソだ。自分だって大勢の人々から眉をひそめられているのだ。目クソが鼻クソを笑っても、余計みじめになるだけだろう。それでも、宮崎よりは、かろうじてましだとは思うのだが。
 何をしてこやつを無敵といわしめるのか。それは、宮崎の神経回路に起因する。宮崎は、四舎二階の住民の誰もが抱え、悪戦苦闘させられている死への重圧。プレッシャーを一切感じていない。
 鬼ガワラだって無敵だけど、「殺されるのが怖くないか?」と問われれば、怖いはずだ。だからこそ、ハタ迷惑バリバリな情緒不安定になり、突如としてギアがセカンドへと入ってしまうのだ。
 ある意味、その気持ちはよく分かる。みんな同じようなものなのだから。
 ギリギリの極限状態の中で、狂いきることもできず、狂いそうな生き地獄を来る日も来る日も来なくなる日まで、さまよい続けていれば、どれだけ神経が図太かろうが、そんなもの3日ももたずしてカリコリに削り取られてしまうだろう。
 それなのに、、、。それなのに、神に背くかの如し所業をシャバへと刻み込んできた宮崎は、ここでも神に背を向け倒していた。
だって、怖がってないんだもん。
 場違いなほどのマイペース。鬼ガワラとは、180度対極の位置の正に唯我独尊。死ぬことを恐れているフシが、宮崎からは、まったくうかがえなかった。
 一度オレは現状に心底まいってしまい、教えを請おうとワラにも縋る気持ちで、宮崎寺に駆け込んだことがある(この時点で、オレの神経回路も充分ミステリーなのだが、、、)。
 オレが宮崎和尚に問うた煩悩はこうだ。
「和尚、あんたは殺されるのが怖かないのか!?」
 和尚は悟りきっていた。尋ねたオレがバカでした、とも言う。
和尚はいつものように、ヘラヘラと慈悲とは程遠い薄気味悪い笑みで、境地をこう説いてくださった。
「殺されないから、こわくないよよよ~ん」
 聞いたオレがバカなのか、答えた宮崎がアホなのか。
 別に宮崎は、現実を逃避しようとしてるわけではない。横山のやっさんのように、再審に一縷の望みを託し、希望的観測を立てているわけでもない。
 それはごく自然に、ごくナチュラルに、誰に教えられることもなく、手を引かれ導かれることもなく、宮崎はたどり着いてしまったのだ。もしかしてコイツは、神に背いているのではなく、神そのものか。もしくは神の子かもしれないーってなんでやねんである。
 こんな宮崎ですら、精神鑑定の結果、正常と見なされ、シニ棟へと送り込まれてきたわけだが、もしもオレがあの時、控訴して、精神鑑定の末、心神耗弱にでもなっておれば、それはそれで宮崎よりも司法からはおかしい奴と判断された訳だから、ペコッとへこんでしまったであろう。
 目の前の宮崎は、そんなことなどいざ知らず、腕立て伏せ。もしくは爬虫類のこむら返りなのか、いっこうに理解つきかねる動きを依然、繰り返していた。ある意味、それはのほほんとした光景だった。
 見上げた空には、飛行機雲が、どこまでもどこまでものびている。
 まだ、オレは生きていた。
 ちゃんと、この世に存在していた。

●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)