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奇跡ーミラクルー

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奇跡ーミラクルー


 現役時代の私の上司は、これまで数々のミラクルを巻き起こしシャバへと帰還を果たしてきた。
 そのミラクルの序章が幕を開けたのは、上司がまだ若頭の席に座るより以前、鬼の大阪府警と対峙させられた時であった。


「よっしゃ!黙秘貫くねんな!お前もレスリングやってたらしいやんけ、ワシに下手打たすんやったら屋上で延々懸垂じゃ!」
と全く意味不明な会話を運動バカな取調官に投げつけられた私の上司は、取調室から警察署の屋上に連行される事になってしまった。


 そこには、懸垂棒が備えつけられていたという。
 骨太の運動バカはひょいと先にその懸垂棒につかまると、私の上司にも同じように懸垂するように促した。


「勝負しちゃる!」


 得てして、大阪府警の暴力(取調官)は言葉の端々に広島弁をミックスさせるという習性を持っている。
 上司は何一つ顔色を変える事なく、懸垂棒にぶら下がると黙って懸垂を始めた。


「おっ!なんなら、ワシに勝てると思とんのかっ!ふんっ!ふんっ!ふんっ!ふんっ!」
 運動バカも慌てて懸垂を遣り始めた。懸垂を強要するだけあって、運動バカも学生時代にはそれなりにスポーツで鳴らしたという自負があったのであろう。
 だが相手がオリンピック候補に選ばれた事がある経歴の持ち主である事に気づいていなかった。
 数分後。懸垂棒を離しその場で息を切らせてうずくまった運動バカは、まだ黙々と懸垂をやり続ける私の上司を見上げたのだった。


「ハッ......ハッ......ハッ......なんならっ? お前は......」
月明かりの中、その後も上司は懸垂を続けていたのだった。

 この出来事で府警を躍起にさせた訳ではないだろうが結局この時、上司は起訴されて裁判で一年戦う事になってしまう。
 そして言い渡された判決はなんと無罪だったのだ。現役のヤクザに無罪が言い渡されたのだ。
 これがどれだけの快挙か、裏社会の住民なら誰でも理解できるだろう。
 だが、他でもない上司にとっては、それは当たり前の出来事に過ぎなかった。何故なら上司の大学時代の専攻は、法学部だったのだ。
 その知識は下手な弁護士なんかよりもはるかに上回っていたからだった。
 この釈放後に二次団体の若頭を就任するのだが、顔を潰された形となってしまった当局サイドはそこから躍起になって、私の上司であるカシラを逮捕し続けた。
 その数、8回。どうにかしてでも執念でカシラを塀の向こうに送ろうとしているのが、回数から見ても伺えた。
 どんな微罪でも、とにかくカシラを引っ張った。でもカシラはその度にパイで釈放されて帰ってきた。


「流石、カシラ。やっぱり知識がちがいまんな」
と口にしていた事務所の人間も、それが何度も続き始めると、ミラクルを意識するようになっていた。
 それを決定づけたのが、8度目の逮捕となった時であった。


 この時、カシラは執念の起訴に持ち込まれ、裁判にかけられてしまったのだ。
 そのバトンを警察から託された検察も、カシラの経歴を意識しているかのように、あらゆる外堀を埋めて実刑に持ち込もうと執念を燃やした。
 結果、カシラに言い渡された判決は、無罪でも執行猶予でもなく実刑であった。
 傍聴席に座る私も、流石にミラクルは起きんかったかとため息をついたのだが、実刑を言い渡されたカシラは全く表情を変える事なく淡々としているかのように見えたのだった。
 そして即日、控訴の手続きを取ると裁判の舞台を高裁へと移したのだった。
 裁判は終わっていないとはいえ、一審で実刑が言い渡されてしまった以上、誰しも懲役は避けられぬと諦めていた。
 だがカシラは帰ってきた。執行猶予を高裁で勝ち取って帰ってきたのだ。


 そして私に向かい「ミラクルやろ?」と言いながら、ニヤリと笑ったのだった。
 逮捕されると漏れ無く懲役が必ずついてくる文政は、この事を知ると「ワシもちょっと兄弟のところのカシラにご教示願わないかんわ」と一服したのであった。
 カシラが巻き起こしたミラクルは、今でも関係者の間で語り続けられている。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)