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小説『死に体』 第6話

新装改訂版 沖田臥竜Presents!小説『死に体』 第6話

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■第1章 開幕


 今度は忘れてはいなかった。毎朝、目覚めと同時に、「今日こそは」と身構えていたので、それがやってきたことにはすぐに気がついた。
 時間にしてどれくらいだっただろうか。わずか10分ほどにも思えたし、1時間と言われれば、そうだった気がする。正常な心理状態とは異なるので、時間の感覚がまったくない。そして、このときも死刑囚を脅かすだけ脅かして、何事もなかったかのようにそれは漆黒の闇の中へ姿を消した。
 ただ、このときは初めての収穫があった。前回も今回と同様、"それ"が来たのは金曜日の朝だった、ということだ。前回のときは、そのあとすぐにゆまが面会に来てくれたので間違いない。確かにあれは金曜日の朝の出来事だった。
 もしかして......
 とある可能性について思い当たったオレはハッとした。そしてゾッとなった。もしかして、金曜日の朝に死刑執行の言い渡しがあると決まっているのではなかろうか。
 オレがまだ死刑囚ではなく、ただの犯罪者だった頃、刑務所の中でこんな本を読んだ記憶がある。なんでもその本には、死刑囚ってやつは毎朝毎朝、お迎えの死神が訪ねてこないかと念仏を唱えながら怯え、その日の午前9時だったか10時だったかまでに「お迎え」がなければ翌日の朝まで生きながらえることができる、みたいなことが書いてあった。
 さらに思い出した。死刑囚ばかり束ねて収容させているその舎房は四舎の二階にあり、語呂合わせで「シニ」と呼ばれているのだ、と......。
 ナヌッ!? ここなのか?今、オレが暮らしているここのことなのか?
 間違いない。あの本では『毎朝』と書かれていたが、実際は毎週金曜日の朝に死刑執行の言い渡しがあり、その後、数時間もせぬうちに本人の承諾もないまま死刑が執行され、葬り去られる、というわけだ。それで、どの死刑囚の面々も、毎週金曜日の朝を迎えるたびに殺(や)られはせぬかと怯えているのではないのか。
 知識不足だから正確かどうか定かではないが、オレが聞いた話ではなんでも全死刑囚の殺生与奪権を握る法務大臣からの執行命令書が届くと、その日から5日以内に暗殺命令の出された狂人を黄泉へと誘わなければならない、と聞いたことがある。
 だが、刑務官も人の子、土日祝日に「殺し」をやるとは考えにくい。つまりいつ指揮書が届けられても、金曜日に合わせて殺(や)ることが可能ということになる。
 そして、事件はやはり金曜日の朝に起こったのだった。 
その劇の幕が開けたのは、前日の木曜日の夕刻。オレは勝手に終の栖(ついのすみか)となると思い込んでいた三畳一間と、向かい合わせに設置された一畳ほどのスペースの洗面所と、むき出しの便器を気分転換もかねて掃除していた。
 このオッさんは、オレが掃除し終えるのを待っていたのではなかろうか。
「伊丹すまん、部屋変えるから転房の準備してくれるか?」
 そう言いながら正担当のオヤジが、マヌケな顔をのぞかせてきた。
「えええ~っ、ホンマにゆうてんの? 今、ピッカピカに便器まで磨いたのに、転房したらまた掃除せなあかんやん」
 ブウブウ文句をたれながら、オレは転房先の指定された房へと住居を移すことになった。 移す、といっても、廊下をほんの数メートル移動するだけで、房の中の作りもまったく同じ。三畳一間のむき出し便所。畳の擦り切れ具合も、便器の金具の錆びれ具合も、それまでいた房と似たりよったりだった。
 ただ、縁起の悪さだけはこの上ないものがあり、無駄に暗鬱な気分にさせられてしまった。
 それは、転房先の部屋番が「四十ニ」房。つまり「シニ」と読めたからだ。
 死に翻弄されまくっている死刑囚を四舎二階へとひとまとめにしやがった所長のセンスも笑えんが、転房先が四十ニ房では「シニシニ」ではないか。
 そうでなくとも死刑囚にはジンクスを極端に担ぐ者が多いのだ。本来、この房は空房にしとくべきではなかろうか。まんじりともせぬまま朝を迎え、曜日は木曜日から金曜日へと切り替わった。
 はっきり言って、このときのオレはタカをくくっていた。どう考えてもオレを殺るわけがないという根拠の無い自信があった。まだ時期尚早だと、オレにしてはえらく難しい四字熟語を駆使してインテリぶり、一人悦に入ったりしていた。
 死刑が確定してまだ1ヶ月が経過していない死刑囚を殺るなんて、ごくまれな特例か、もしくは現法相に個人的恨みを猛烈にかってしまった輩くらいしかありえんだろうと勝手に思い込んでいた。
 タカをくくっていた理由はそれだけではない。
 いつ刑が執行されてもおかしくない身とはいえ、なにも毎週必ず誰かが刑台の露となって消えるわけではないのだ。統計なんて取ってないから詳しくは分からないが、年間通して葬り去られる死刑囚の数は、多いときでも6、7人ではあるまいか。なかには1人も血祭りにあげられない年だってあると聞いたこともある。それを思えば毎週必ずやってくる金曜日に、いちいちビクつかなくてもよろしい。オレは人一倍小心者のくせに、人一倍思い込みの強い、厚かましいところが昔からあった。
 それがいけなかったのだろうか。
 人間謙虚さを忘れたらいかん、と言うもんな。ましてやオレは罪深き死刑囚だ。ビビるところではしっかりビビって寿命を縮めとかないと、バチが当たるというもんだ。
 そのバチが当たったのか。その後、我が身に降りかかってきた悲劇は、一瞬にして我が人生哲学を覆してしまうほど強烈なインパクトのあるものだった。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)