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小説『死に体』 第5話

新装改訂版 沖田臥竜Presents!小説『死に体』 第5話

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■第1章 開幕

(一)

 そのことに気がついたのは、絶望の港とも別れの波止場とも人々から揶揄(やゆ)され、呼ばれている四舎ニ階の無法地帯。通称「シニ棟」に送られて一ヶ月ほど経ってからだったと思う。
 もっともそれ以前から、この泥沼の底のような空間の中に、痛いほど張り詰める朝があることには気づいていた。
 四方を壁が遮断しているので自分の肉眼を使い他の者の動向を探ることはできないが、三畳一間のむき出し便所に生息するどの房の死刑囚たちも息をひそめて全神経を房の外。目前を走る一本の廊下へ研ぎ澄ましているのがなぜだかわかった。 
廊下を行き交う担当も、業務に追われていた当所執行の雑役も、死刑囚たちの視線を気遣い、足音を忍ばせているように感じられた。心なしかシニ棟に寄りつく雀のさえずりさえも、なにやら気を使っているかのように感じたのは、オレの得意の幻聴か。
「はて」と思いながら、オレはおもしろくもおかしくもない小説をガリガリと書き殴りつつ、いつもの朝とは異なる雰囲気を全身で感じていた。
 なにか起こるのだろうか。
 いつの間にか訳も分からず、オレも息をひそめていた。
どれくらい過ぎたのであろうか。
 離れの房からカタンッと報知器が叩かれたのを合図に、さっきまでの異様な静寂がサッと消え失せ、いつもの険のある声が各房から聞こえ始めた。
 それは見慣れた、いつもの無法地帯の光景だった。
 なんだったのだろうか。気のせいだったのか。
 釈然としないまま、どこか引っ掛かるような違和感を覚えたが、翌日もその翌々日も朝から担当を呼ぶ報知器がバンバンと叩かれ、担当や当初執行の雑役を捕まえては不平不満をわめき散らすという、いつも通りのにぎやかさに戻っていたので、オレはいつしかそんな朝があったことを忘れ去っていた。
忘れた頃にやってくる─とはよく使われる言葉だが、あれは本当だった。その朝は、オレが忘れ去るのを待っていたかのように漆黒の闇から姿を現した。
 死刑囚たる者、常に尋常じゃ考えつかぬ精神状態で拘束されているので、病的なほどに神経が研ぎ澄まされている。ましてや死刑囚の皆が皆、オノレで勝手に創った修羅場を潜らんでもいいのに潜ってきた分、常人にはない第六感が働くのだ。
 その第六感が俺にこう告げてきた。
危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない、、、、、、、と。 
グロテスクに張り詰めた特殊な空気の中で、オレは見えない恐怖に取り憑かれていた。
 なにかが始まろうとしていた。
しかし、この時もなにも起こらなかった。しばらくすると何事もなかったかのように四舎二階のフロアはいつもの騒然たる様相を呈していた。
 確かになにかが始まろうとしていたのは気のせいではない。その「なにか」とは、突き詰めていけば立場が立場だけに嫌でも「死」へと導かれていくわけだが、はっきりとした確信を得ることができず、またいたずらに時が過ぎていったのだった。
 そして、またなんの予告も前触れもなく、その朝がやってきた。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)