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毎日が2級集会

沖田臥竜の日常エッセイ!『茜いろの日々』第10話

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毎日が2級集会


12年の刑務所暮らしの道中には、それこそもう何度も終わったな、とあきらめたことがあった。何年も何年も来る日も来る日も独居で孤独と向き合い続けていると、そこからどう考えても名誉を挽回する未来図を描くことが出来なかったのだ。
だからと言って塞ぎ込んでいたばかりではない。ヤクザをやっていたので、この道で成り上がってやろうと折れそうな心を叱咤激励していたのだ。
ただ、もしもヤクザの世界で道を拓くことが出来なかったら、どうしれば良いのだ。そうした不安はいつもあり、そうした中でたどり着いたのが書くということであった。

元々、私は文字を書くのが好きだった。書くことにはそれなりの自信もなかった訳ではない。
ヤクザを辞める気は全くなかったけれど、仮に足を洗う時がきたら、書くことで生計を立ててやろうと考え始めたのだった。
そこから、書く、読む、写すという作業を明けても暮れても繰り返し始めたのである。
書けば書くだけ、本を読めば読むだけ、小説を写せば写すだけ、痛感させられたことは、筆力のなさだった。これじゃ到底、作家になんてなれやしないと思い知らされたのだ。あまりにも無知であった。
社会で同じような境遇に立たされていれば、無駄な努力とあきらめていたと思う。だが中の暮らしには、時間だけはうんざりするほどあった。ましてや他者との接触を遮断された隔離の独居暮らしである。
無駄なことだと思いながらも、とにかく書き続けてみたのだった。
すると到底かなわないと思っていた作家の小説の中に、この作家なら私の方が筆力が上ではないか、と思える書き手が出てきたのだ。
そこから一層、書くことに情熱を滾らせていったのだ。
食べ物に好き嫌いがあるように、文書にも合う合わないというのがある。これは読む人の感性にもよるので実際、他の書き手と比較するのは難しい。でも売れれば勝ちという分かりやすさが、書き手の世界にはある。
やるだけやって見て、無駄ならもっと書けば良いだけの話しだ。後は巡り合わせではないだろうかと考えたのだ。


社会に戻り、私なりに一生懸命ヤクザ稼業に邁進してみた。だけどいつしか懲役がさむくなってきている自分に、気づいてしまったのだ。
それでも飛んだり、ケツを割るなんてことだけは意地でもしたくなかった。
懲役が怖くなっては、ヤクザとして使いもにならない。ただ渡世で受けた義理だけは欠いてはならないと思い、人として道を教えて下さった親分が引退されるまでは、石にかじりついてでも踏ん張り続けようと決心したのだ。

カタギになり今では書くことで収入もえて、それなりに暮らせている。
そんな高価なものでなければ、欲しいと思えばスッと買うこともできる。
好きなときに好きなものも食べることだってできる。

そうやって考えると、社会の今の暮らしぶりは塀の中での生活から考えれば、毎日がお菓子を食べれる2級集会みたいなものだ。
塀の中には塀の中の人間模様があり、社会には社会の苦悩もある。
でも私はこの社会で、これからもペンを武器に戦い、自分の目指すところまで駆け上がっていきたいと思っている。

●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)