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狂い始めた夏~部屋住みシンの最期の1日~

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狂い始めた夏~部屋住みシンの最期の1日~



「なんで、1日増えるねん」
その日、当番を務めていた私はいたく不機嫌だった。私の後に当番へと入る予定だったゼロやんが逮捕されてしまったため、当番が1日延びることになってしまったからだ。
翌日が当番だというのに、酒を浴びるように呑んだ挙句、何が気に入らなかったのか、一緒に酒を呑んでいた我がの彼女の足を、ゼロやんはナイフで刺してしまった。
それはそれで非日常的な出来事ではある。だが、申し訳ないけれども、命に別状ない痴話喧嘩なんかよりも、1日増えた当番の方が私には大問題だった。
「だから、直参と兼任はええように使われるから嫌やねん」
自分の組織内の立場を呪いながら、当番責任者席に座り、届けられた書状にチェックを入れていた。除籍、破門、絶縁、引退、就任......。一枚一枚に鉛筆で日にちを書き込んで目を通していく。ふと視線を上げれば、4画面に分かれた監視カメラのモニターに道行く人々の姿が映し出されていた。
「カシラ、親分も留守にされてますし......一息ついたらどないです」
そう言いながら、私がカシラをやっていた三次団体から本部の部屋住みに入っているシンが、アイスコーヒーを私の目の前に置いた。綺麗に刈られた頭に、黒の戦闘服。小柄ながら少し吊り上がった目にヤクザの一面を覗かせている。
「おっ、気がきくやんけ。そうか親分は、田舎に帰ってはんのか。ほなら、のんびり出来んの」
親分がいる時は、本部内が漲るように張り詰めている。必然、当番責任者もピリピリしており、何かと部屋住みを怒鳴りつけてばかりとなる。だが、この時は親分の留守という事で、穏やかな時間がゆっくりと流れていた。
「はい、のんびりしましょ。カシラも疲れてはるでしょう」
シンはそう言うと、私の横に備えつけられていた丸椅子に腰を下ろした。
「なあ、シン。お前、この先どうすんねや」
淹れてくれたアイスコーヒーをストローで吸い上げながら私は尋ねた。この時、2011年8月。すでにヤクザがヤクザで食えない時代は到来しており、私自身もヤクザである事に先行きの不安を抱えていた。
「えっ? 自分ですか? 自分は部屋住み終えたら、オヤジから若頭補佐にしたる、言うてもうてますんで、この部屋住みをなんとか務め終えて、カシラの補佐させてもらおうと思ってます」
ヤクザの肩書きだけでメシなど食えない。逆に、ヤクザである事が足枷になってしまうくらいだ。それなのに、私に向けられたシンの眼は、爛々と輝いていた。昔は私もこんな眼をしていたのだろうか。つい気持ちとは裏腹の言葉を口にしていた。
「そうか。それやったら、しっかりやらんといかんの」
シンが組織の門を叩いた時、教育係に就いたのが私だった。初めは線も細く、すぐにケツを割ってしまうのではないかと思いながらも、組織のカラーを、ヤクザとしてのイロハを叩き込んでいった。
シンには内に秘めた負けん気の強さがあった。次第に所作の一つ一つが板についていき、「これならば本部に入れても恥ずかしくない」となって、本部の部屋住みに抜擢されたのだった。
その日、私は久しぶりにゆっくりとシンと語り合った。何時もシンをどやしつけてばかりの私がこんなにゆっくりシンと語り合ったのは、初めてだったかもしれない。
当番二日目。親分はまだ帰って来ないので、スーツからラフな格好に着替えた私は、ソファーで流れるテレビを観るともなく、眺めていた。
目の前に置いてあった携帯電話が振動し始めたかと思うと、アップテンポのメロディーを奏で始めたのだった。画面に視線を落とす。文政だった。
生野が生んだスーパースターであった。
「おぅ!兄弟!どこや?」
「元気か?」といった社交辞令どころか、「もしもし」という当然の受け答えすら、文政には存在しない。
「どこて、当番やがな」
「かーっ! ホンマ兄弟は、当番が好きやの。いっつもなんや言うたら事務所いとるがな。どこまでLやねん」
それを言うなら、Mである。
「しぁあないの~。差し入れ持ってたるから、ちょっと待っとったれや」
文政は一方的に告げると,電話を切った。
私は間違ってもMなどではない。もちろん当番だって好きではない。どちらかと言うと大嫌いである。嫌いであるけれども、ヤクザである以上、仕方なしに当番に入っているのだ。でも、文政はそんな事を聞かないし、実際問題どうでもよいのである。
10分後、モニターを監視していたシンが「カシラっ!来られましたっ!」と言いながら、ソファーに座る私に振り返った。モニターに目をやると、白のベンツが玄関前に横付けされていた。
相変わらず好タイムを叩き出してきた。文政はどこにいても10分もあれば、駆けつけてくるのだ。
「鍵開けたってくれっ」
シンにそう言うと、鉄板入りの扉が解除され、文政が勢いよく姿を見せた。
「兄弟! 相変わらずかっ! たこ焼き買うてきたったどっ!」
身長はそう高くない。だが、がっしりとしたその体躯が周囲にナチュラルな威圧を放っている。本部内に威風堂々と入ってきた文政の仕草は、まるで本部の幹部のような立ち振る舞いである。
「なんや親分は田舎帰ってはんのか」
間違いない。やはり幹部さんだ。まるで文政はそれが至って当たり前のように、直参専用のソファーに腰を下ろした。シンが、「失礼します」と言いながら、おしぼりとアイスコーヒーを文政の前に置いた。
「おっ! シン、だいぶ板についてきたやないか。たまには兄弟にヤマかえしたれよ!」
シンが「とんでもないです」と言いながら、首をブルブルと左右に振らせた。
「やっぱりここは、落ち着くの~」
冷たいおしぼりで顔を拭い、文政はアイスコーヒーを一気にストローで吸い上げた。
もしかしたら、幹部さんというよりも更にその上の執行部の方かもしれない。もちろん、文政はウチの組織の人間ではない。ある意味、平和だった。この穏やかな時間は、そう長くは続かなかった。
延長された私の当番最終日の夜が明け、シンにとって人生最後の朝を迎えることになったのだ。
親分が留守という事で、いつもより遅く目覚めた私は、二階から一階に降りていった。当番席に座るシンともう一人の部屋住みのムネが立ち上がった。
「おはようございますっ!」
「おっ、おはようさん」と答え、私はソファーに座り、目の前に綺麗に整えられ、並べられてある新聞を開いていった。朝刊各紙に目を通し、ヤクザの事件が報じられていないかチェックするのも当番責任者の業務であった。
「あの、カシラ、すいませんっ。もう掃除も全て終わってますんで、ちょっとだけムネとモーニングでも行ってきたらあきませんでしょうか?」
本来、部屋住みは事務所の用事以外、外へ出る事は禁じられていた。タバコ一本吸うにしても、私用の電話を一本入れるにしても、洗濯物を屋上へと干しに行く際に、隠れて済まさなければならないほどだ。
だが、今は親分が不在中である。
「かまへんど。掃除のチェックも後で適当にやっとくから、息抜きでもしてこいや」
と言って二人を送り出した。
本部には他にも部屋住みはいたのだが、シンとムネは仲が良かった。時折、ケンカもしているようだが、気になるようなものではない。どこにでもあるようなじゃれ合いに過ぎなかった。昼前には、二人とも本部へと帰ってきており、二階に上がると二人で風呂掃除を始めていた。シンとムネの様子に変わったことなど全くなかった。
「カシラ、今日も店かいな?」
昼前に交替のナベさんが姿を見せた。私は当時、本部の直参からも枝の肩書きで呼ばれていた。
「そうですわ」
と答えながら、引き継ぎ事項をナベさんにいくつか伝え、帰り支度を始めたのだった。
「親分がおられへんから、のんびりさせてもらうわ」
引き継ぎが終わると、ナベさんはのんびりとした声を出した。私は帰り支度を終えると、二階で風呂掃除をしているシンたちに階段の下から声をかけた。
「シン帰るわのっ!」
慌ててシンが降りてきて、私を見送りに出てきた。
「シン、タバコでも買えや」
と言いながら、私はシンに二千円を握らせた。同じように見送りに出てきてくれたナベさんが「良かったやんけ~、シン」と笑顔を作った。
「はいっ! 有難うございますっ! カシラご苦労様でしたっ!」
私は手を上げ本部を後にしたのだった。これがシンとの最期の別れになろうとは、このとき夢にも思っていなかった。

「いらっしゃー‥‥。なんや? 沖ちゃんか。お金にならへんお客さんに挨拶して損するとこや」
私は当番から上がった後、大阪でシノギの話しを進めに行き、夕方に経営していた居酒屋の暖簾をくぐったのだった。
「何言うてんねん。仮にもオーナー様やぞっ」
カウンターの中のヒカに返した。大きな瞳は綺麗な二重瞼のアーチを描いており、スッと通った鼻が見る者を惹きつけた。
「へいへいっ」
と言いながら、ヒカがテレビのチャンネルを変えた。しばらく二人でテレビを観ていたが、客が入ってくる気配は全くしない。ヒマになり、ヒカの妹、みどが「晩ご飯を食べにくるかな?」と話していると、勢いよく店のドアが開かれた。噂をすればなんとやらである。みどであった。
「沖田っ! ご飯食べさせて! ヒカ! ご飯作って! お腹空いた!」
この無銭飲食の常習犯は、このとき中学三年生であった。少しつり上がった瞳が、ヒカよりも気の強さを表しており、スジの通った鼻、少し薄めの唇、どれもが大人びていて、とてもじゃないが中学生には見えなかった。
夜も更けて行き、みどに恋愛の哲学を延々と聞かされているところに、私の携帯電話が鳴った。昼過ぎに上がったばかりの本部からであった。
「ホンマ、人使い荒すぎやろ」と思いながら通話ボタンを叩いた。流れ込んできたナベさんの声はすでに尋常ではなかった。
「カシラっ!シンが、シンがっ!」
「どないしてんっ!」
思わずナベさんを怒鳴りつけていた。
「ムネが包丁もって暴れて、それで、それで、それで‥‥」
「それで」のオンパレードに、「すぐに行く」と言って電話を切り、店を飛び出した。
背中で、ヒカとみどの声が聞こえたが、何を言っていたのかは、覚えていない。私の店は、本部から三百メートル程の場所にあり、目と鼻の先であった。何があったのか。駆けながら、様々な事態を想定していた。
辿り着いた本部の扉は開け放たれており、最悪の予感はすでにMAXにまで上昇していた。
「シンっー!」
私は、叫びながら本部に入り、一目散に二階に駆け上がった。
「シン、どこじゃっ! どこおんねんっ!」
怒鳴りながら、二階の部屋住み専用の部屋の襖を勢いよく開ると、自分の体は動かなかった。
砂壁に飛び散った血が視界に入り、血の海で横たわる上半身裸のシンがクローズアップされた。一目見た瞬間に、もう駄目だ、という事がわかったためだ。
「シン、シン! お前、何しとんねんっ......カシラ補佐なるんと違うんかいっ! おい、何しとんねんっ」
抱き抱えながら、シンから全くの体温を感じない事に気がついていた。我に返って、急いで階下に降りながら、叫んだ。
「誰か救急車呼ばんかいっ! 救急車じゃ! はよ呼ばんかいっ!」
一階に辿り着くと視界に、ナベさんたちが包丁を振り回すムネと揉みあっている姿が飛び込んできた。
「あいつはスパイやったんや! あいつは回しもんやー」
ムネが半狂乱になりながら、抑えつけようとしているナベさんたちを振り払おうと暴れていた。ナベさんが包丁を握るムネの右手を両手でしっかりと掴んでいた。
「お前っ...お前何しとんねん」
呆然としながらも、私はムネの前に立ちはだかった。
「シンの奴が! シンの奴がっ......」
視点が定まらないムネが叫んでいた。
「やかましいんじゃい! お前一体何しとんじゃい! 包丁放さんかいっ! ワシの言うことが聞けんのかい!」
私はムネの襟首をつかんで怒鳴った。はっと我に返ったように、ムネががっくり頭を垂れ、包丁を手放した。
「はい......すいません......。聞けます。でも、シンはスパイやったんです......」
手放した血だらけの包丁は、よく見ると刺身包丁だった。その包丁をナベさんが、すかさず取り上げた。
「シンはスパイやったんです......」
と繰り返すムネ。
「お前、一体何を言うてんねん...」
怒りが芽生えてきたのは、もっと後になってからだった。このときは、目の前の光景すべてを受け入れられなくて、どうしても現実と認識できなかった。
嫌な記憶ばかりが蘇っていた。あの日の夏。私が人を殺めたあの夏。あの空間に舞い戻ってしまったような錯覚があった。あのときも、目の前の光景を受け入れることができなかった。
遠くで、パトカーと救急車のサイレンがこだましていた――。

「カシラ、ここにサインしてくれ」
所轄の暴力団担当刑事に呼ばれ、私は警察署へと来ていた。身内と連絡がつかなかったので、司法解剖から帰ってきたシンを引き取るために、知り合いの葬儀屋と所轄に呼ばれていたのだ。
死亡証明書にサインし、持参するように言われていたハンコをついた。
「ほんならカシラ、後は頼むど。大変やろうけど協力してくれや」
現場に一番に辿り着いた私は、事件当日から参考人として、連日のように事情聴取を受けていた。
「はい」
と答え、私は所轄をあとにした。その帰り道で、文政に連絡を入れた。
「もしもし、兄弟か。シンが死んでもうたわ」
文政は驚く様子もなく、黙って聞いていた。本部での殺人はのちに大きく世に知られるこになっていた。すでに文政の耳にも届いていたのだろう。
「シンの淹れるコーヒー美味かったの」
文政がボソリと呟いた。
「ああ、美味かった」
「落ち着いたら、兄弟、連絡くれるか。ワシにも線香あげさせたってくれよ」
「ああ分かった。有難うな、兄弟。また連絡入れる」
と言って、電話を切ったのだった。
ヤクザで生きる以上。殺されるのも殺すのも覚悟の上だ。しかし、すべてのヤクザがそういった局面と対峙するわけではない。そして、対峙せざるを得なくなったとしても、現実を受け入れるには、誰しも時間がかかるものではないだろうか。
シンが死んだ。そう思えるようになったのは、いつからだろうか。
見上げた空から容赦なく降り注ぐ太陽の陽射しは、ますます激しさを増し始めていた。オレは立ち止まり、手の甲で額に溜まった汗を拭ったのだった。
夏のど真ん中。シンはヤクザで、この世に別れを告げていった。
6年前のあの夏。確かにオレはヤクザだった。ヤクザとして生きていた。あの夏、一つの星が輝きながらながれていった。

●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)