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十代の頃の逃亡中

沖田臥竜の日常エッセイ!『茜いろの日々』第7話

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十代の頃の逃亡中


阪神淡路大震災から23年を迎えた。私の地元、尼崎も震災の被害を受け、推定震度6を観測している。
当時、母は飲食店を営んでいたのだが、棚のボトルや食器類は倒れて全て割れ、大変だったと語っていた。
語っていた、というのはその頃、息子の私は尼崎どころか兵庫県にいなかったのだ。
「フンっ!どうせ檻の中にでもいたのだろう」
と鼻で笑われるかもしれないが、バカ言っちゃいけない。ちゃんと社会に生息しておった。ただ 逮捕状を回され逃亡生活を余儀なくさせられていただけだ。

潜伏先は鳥取県。今思うと世の中が本当に、おおらかだったとしみじみ思う。当時、付き合っていた同級生の彼女と、偽名でその日からパチンコ屋に就職できたくらいだ。
履歴書の住所だって、タウンページに載っていた広島県のラーメン屋の住所を書いていたが、なんの疑いも抱かれることはなかった。
「君は広島やのに、どうして関西弁を喋るの〜?」
とのんびり尋ねられたくらいだ。
マイナンバー制度なんて、まだまだ影も形もないどころか、発想そのものがなかったのではないか。

そこで私は阪神大震災を体験している。なので被災地となった災害の状況を、TVの映像を通して知るだけであった。ただ電話が震災の影響でなかなか繋がらず、かといって潜伏中のために帰ることもできず、やきもきさせられたことを鮮明に覚えている。


逃亡生活は実際、実にのんびりしたものであった。身分証がなくとも「あそこの駅前のパチンコ屋で働いてねん」と言えば、ビデオ屋の会員証もつくれたし、有線をだって引いて犬だって飼っていた。
仲良くなった常連客には、地元の刑務官や地元のヤクザがおり、みんな一緒になって麻雀屋のマスターが開帳する競馬を張ったりしていたくらいだった。
今じゃとてもじゃないが、考えられないだろう。

そんな逃走生活に終止符を打ったのは、20歳を迎えてすぐであった。
「さすがに少年の事件を、成人になって追いかけてくるほど、警察も暇じゃないだろう」
と身勝手に考え、尼崎に帰ったのである。ま、暇か忙しいかは別として、そんな都合良く物事が進むわけも行かず、すぐに尼崎に帰って来ていると嗅ぎつけた警察によって敢え無く御用となったのであった。

ただ、潜伏していたお陰で得したこともあるにはあった。
それは逃げていたお陰で、逮捕されたものの僅か10日ほどで不起訴となり、釈放されたのである。少年ときに逮捕されていれば、十中八九、少年院に送致されていただろう。それを思えば逃げ得だったと言えるか。

逆に逃げていたお陰で、成人式に出席することはできなかったのだが。

あれから23年。月日の流れの速さに戸惑いつつも、忘れてよいことと、忘れてはならないことを改めて考えさせられた。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)