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親の背を見て子は育つ

沖田臥竜の日常エッセイ!「茜いろの日々」第6話

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ー親の背を見て子は育つー


亡き父は働き者であった。商売柄、朝の5時には家を出て、夜の8時まで働く自営業を営んでいた。
働きすぎと元来の酒好きが祟って、59歳という年齢で他界してしまったが、働き者の父と違い私はちっとも働くなんてことをしなかった。
両親ともに働き者だっただけに、母はどうして息子がこんなにもぐうたらなのかと首を捻っていたほどだ。
それが現在、自分で言うのもなんだが、随分と働き者になったことを薄々ながら感じ始めている。
やはり働き者の両親の血を、しっかり受け継いでいたのだろうか。

これだけ働いているのだ。あと効率さえ良ければそろそろ家が建ってもおかしくない、と思うほどは働いている。
働き者の兆しが自分自身に見え始めたのは、ヤクザ人生16年の後半にあたる、数年間だったのではないだろうか。

社会で言う、働くという概念とはかけ離れているかもしれないが、とにかく私は働いた。
名古屋の本家に親分が入るといえば名古屋へと付き従い、神戸にある総本部にも頻繁に通った。初代から4代目竹中親分の墓参りにも親分が行かれるときは必ずお供し、総本部の外周掃除、川掃除、冬場は雪かきの待機、総本部で行われる餅つきだって、毎年モチをついていた。親分と若頭が不在のときには、本家の定例会やブロック会議に代理出席し、若頭会があれば、それも代理で出席していた。
いつの間にか自宅に帰って、寝れるのが半月もあれば良い方となり、それら全て自給自足で賄っていた。
幸いにも私が所属した組織は俗に言う金の吸い上げというのが一切なく、全て親分と若頭がやってくれていたので、シノギが上手くなかった私でもそれなりにやってこれたのだと思う。

そういった生活を送っていたお陰だろう。いざ渡世から足を洗い働くことになったとき、あれだけ働くのが嫌だったクセにちっとも苦に感じなくなっていたのだ。これは自信になった。何せまともに働いたことがなかったのだ。本当に働くなんてことがオレにできるのかと不安だったのだが、ヤクザ渡世に比べると、全くなんてことなかった。
そこから寝る間を惜しんでがむしゃらに働いた。
「ちゃんと真面目に働きや〜」という周囲の声も、気がつくと「あんまり働き過ぎたらあかんで〜」に変わっていた。お陰で何度も身体を壊したり怪我したりしたがこれも父の血だろう。

出版業界は、大不況と言われるほど冷え切っている。
ある有名な書き手から直接その収入を聞かされ、「これでも良いほうですよ」と言われた際は驚かされたほどだ。ただ驚きはしたが、内心ごめんなさい。その時点で稼ぎは私の方が遥かに上でした。
効率だけを考えると、もしかするとやろうと思えば、私はもう書くだけでも食べていけるかもしれない。腰を据えれば、多分なんとかなるだろう。
だけど、私は現場へと出て働くのである。現場に出て若い子たちと一緒に汗を流し、寝る間を惜しんで書くことでやっと満たされるのだ。
なかなかヒットを飛ばせん書き手で恐縮だが、ずっと続けていればそのうちなんとかなるのではないかと思ってる。
だからこれからも私は働き続けるだろう。
これが亡き父から受け継いだ私の財産なのかもしれない。

●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)