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『昭和は遠くなりにけり』

元山口組系組長が昭和を回想 文・山元 康徳

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『昭和は遠くなりにけり』

ワシは4年間、山口組本部の部屋住み入ってたんやけどな、まだ今の篠原(現・六代目山口組)に移転する前の話や。神戸の裁判所前にあった頃の話やけどな。携帯電話もなくて緩やかな時代やった。
今では考えられへん。
篠原に移転してからも、まだガレージ当番なんかも手動で開け閉めしとったわ。
ほんま緩やかやったで。
駐車場でキャッチボールやったりしてる者もおったしな。
今でいう本家入るのに、IDカードカードなんてあるかいな。
人数も多い分には構わへんような感じやったしな。

そもそも、不良やってた連中がヤクザになったんや。がんじがらめにできる時代やなかったわな。
その代わり、ケンカやいうたら活き活きしとったがな。
よっしゃ、ここが男の花道とばかりに、身体を賭けて名を売ったろかい、てな者もようさんいてた。
使用者責任や事務所封鎖なんて、今みたいに心配せんで良かったしやな。我がのシャバへの未練を断ち切れるかどうかだけや。

刑(量刑)の天井かて今じゃ考えれんほど安い(軽い)がな。
抗争で相手方の命(タマ)をチャカで弾いてあげても(奪っても)、1人やったら15、6年の時代やで。
今やったら平気で無期(無期懲役)もざらやろ。
チャカの所持がマメ(実弾)つきでパクられて、一丁で1年半(懲役)の計算や。
そんな今みたいにガラス割って、15年、所持で6年も8年も打たれてみいや。さぶうてチャカなんか持ち歩けるかいな。

未決(拘置所)なんかも、えろう甘かったで。
担当も雑居部屋に仲ええもんを集めて一緒に入れてくれとったし、捜検房なんかでタバコやライターが出てきてもそんな大層な話やない。懲罰ちょこっと座れば済む話や。
気の利いた担当なんて、「シャバで頼むで〜」てな具合で、携帯型のラジオなんかも入れてくれたりしとったしな。もちろんめくれたら懲罰やで。
でも仁義があったさかいに、バレても誰も担当のことチンコロするようなヤツはいてなんだ。
なんせ殺人でも保釈がきく時代や。今じゃ考えられんやろ。

プラチナの叔父貴らも、執行部でない限り本部に毎日は来はらへん。
来るいうたら月に一回の寄り合いくらいや。日参なんてもんもなかった。
ワシの親分かて、プラチナに上がる前は、長屋暮らししてはった。後に本家の執行部入りする同門の叔父貴も同じ長屋に住んどったわ。
銭はない時代やったけど、なんでもメシのタネにでけた。
ヤクザにとってええ時代やったわな。今思えば、それがあかなんだんかもしれんな。

なんにしても、昭和は遠くなりにけり、いうこっちゃ。

■元山口組系組長・山元康徳