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小説「忘れな草」第33話 沖田臥竜

小説「忘れな草」第33話 沖田臥竜

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おばちゃんいわく生後三ヶ月の子らしい。
「くーんつくーんっ」
と甘えた声で鳴くちびすけには、ちんちんがついていた。
「このちびにするわ」
さっきからオレが聞いてる聞いていないにかかわらず、饒舌に喋り続けていたおばちゃんだったが、その饒舌にオレの一言がますます拍車をかけてしまった。
「さぁっすが、つかさんっ!お目が高いっ!」
ひとしきり関心してみせるおばちゃんに、オレの中の猜疑心センサーが「何か」を鋭くキャッチ?した。
そもそも初体面の人間を捕まえて、「つかさん」
などと馴れ馴れしく呼ぶ奴にろくな輩はいない。
それが胡散臭いばばあなら尚更だ。
オレの中で「おばちゃん」から「ばあさん」に呼び方が微妙にかわった。

「この子はね、そこのカレンダーの写真の子供で、ワールドチャンピオンの血を受けついでいる子なのー」
壁に貼られてある犬のカレンダーの写真を指差しながら、親切に講釈してくれるばあさん。
ばあさんの説明によると、写真の中の父親犬は、なんと2千万からの値がつけられているらしい。
確かに写真にうつる父親犬の立ち振る舞い?には、素人目にも威厳のようなものが窺われ、2千万円するかどうかは別にしても、王者の貫禄があった。
犬コロなぞと軽々しく呼べぬオーラが漂っている。そう犬コロ様といったところか。

それに対して抱き上げたちびすけは母親似なのであろうか。それとも大器晩成タイプなのだろうか。どちらかというと、犬コロ様というより「おマヌケさん」という感じがしてならない

「あなたは選ばれし人なんだわさ」
「だわさっ?」
「だってだわさ。こんな幸福ありはしないもの。5年に一度、いんや10に一度出るか出ないかっていわれている血統の子を授かろうとしてるんですもん。こんな幸福、正に奇跡。そう正にキセキだわさっ」
「だわさっっ??」
オレはなぜか、ばあさんの「だわさ」という語尾にだけ、いちいち敏感に反応していた。
「本当の値でいったら、2百万...いんや6百万出しても、手に入れるコトは難しいでしょうし、1千万払っても手に入れたいっていうブリーダーだって存在するはずだわ。いいだわさ、これも何かの巡り合わせだわさ。きっと、つかさんとこの子は運命の赤い糸で結ばれていたのよ。10万、、、いんや8万5千円...うん。8万5千円でいいだわさ。持ってってちょうだい」
「へっ?」
つけいるスキの見当たらない、ばあさんのつけたハウマッチにオレはマヌケな声をこぼしてしまった。
「8万5千円でいいだわさっ、もってけドロポウッ!」
ードロボウ?ーばあさんは8万5千円でいいと言って下さっている。ドロボウだとも言って下さっている。
オレはしばしの間キョトンとしてしまった。
2千万円のお子さんが8万5千円なのである。1千万円出しても手に入れたいブリーダーがいるというのに、それを一見のオレなんかにタダみたいな値段で譲ってくれるというのである。

その真実味のなさに立たされれば誰だって一瞬、我を忘れてキョトンとさせられるに違いない。
だけどこの時のオレのキョトンも、マヌケな声もそういったものとは少し違った。

「ちょっと待って、おばちゃん。あの貼り紙には、4万5千円から6万円までってでてへんかった?」
あなたは幸福だの、選ばれしものだのとさんざん持ち上げられた上で、このような「無作法?」を口にするのは、ひどく悪い気がしたけれど、オレは遠慮がちに申し出た。
「あーっ、はいはい。4万5千円の子はついさっき出ちゃて、もう8万5千円の子達しか残っていないの。
それでもこの子だけは特別よ。何せこの子はー」
またおばばの独演会が始まった。
オレの中で「ばあさん」から「おばば」に呼び方がバージョンアップされ、猜疑心センサーが大きなうなりをあげた。
おばばのいう通りであれば、4万5千円の子が先に売れちゃってしまい、本来ならば一千万するであろう、8万5千円の子が売れ残ったというのである。
確かにおばばの話しが全部本当ならば、オレは幸福かもしれない。おばばの話しが本当ならば、だけれども...。
「いらんかったらええんよ。あなたは運命の人じゃなかったみたいだから。
さぁ、その抱いてる子をかえしてちょうだいっ!」
このおばば流石交渉術にたけている。おすと見せかけて、さっと引くように突き放すのは、ナニワの商人(あきんど)のテクニックだ。
おばばが話せば話すほど、胡散臭さがぬぐいきれなくなっていったので、おばばのいう通り、両手に抱き上げていたちびすけをかえすコトにした。
その瞬間、ちびすけのつぶらな瞳がオレを見た。

「くーんっくーんっ」
このちびすけに今、目の前でおこっているコトがわかるはずなんてないのに、ちびすけはまるで全部理解しているとでもいうような、甘えた悲しげな声で泣いてみせやがる
オレは舌打ちをうった。
「ちぇ、しゃあないのオ、やっぱこのちびもらうわぁ」
手渡しかけたちびすけを引っ込め、オレは片手で抱き上げるとサイフを取り出した。
中から9枚の万札を抜き取って、おばばに渡した。
するとだ。おばばはこんな摩訶不思議なコトを言いだしてきた
「5千円足りないだわさ」
また、だわさだ。
躊躇するコトなく言いきるので、思わずこっちが間違っているのかと、5千円を取り出しかけてしまった。
「なんでやねんっ。よう数えてみいやぁ。9万あるやろがっ。5千円足りへんのやなくて、5千円釣りくれんとあかんのとちゃうんか」
おばばは、オレの異議申し立てに、この子はまったく何もわかっていないだわさ、とでも言いたげな表情をこしらえ、その理由を丁寧に教えてくだすった。
「この子はね、その辺のペットショップで売っているエサは食べれないし、いけないの。ものすご
くデリケートな体質なんで、そんなエサをもし食べさせたりしたら、体調不良をおこしてしまい、大変なコトになってしまうだわさ。でも心配しないでいいだわさ。それは始めだけでいいのっ。慣れれば市販のドッグフードでもかまやしないから」
説いて聞かすような口調でいうと、そのエサ代が1万円かかり、後5千円足りないというのである。
新手の恐喝であろうか。
オレは呆れ返りながら、半ばどうでもいいような気分になり、差し出すおばばの魔法使いのような干からびた掌に五千円をのせた。
サイフの中にはもう7千円しか残っていない。
おばばはその5千円をフトコロへしまうと、再び
手を差し出してきた。
「後、7千円もらえるだわさ」

おばばは、オレのケツの毛までむしり取ろうとしているのだろうか。
おばばが言うにはこのちびすけは一週間程前に風邪を引いてしまったらしい。
そりゃ犬だって腹をくだすコトもあれば、風邪を引くコトもあろう。
そんなコトは別段どうでもよい。本題はここからだ。
おばばはその時このちびすけを動物病院に連れていったというのである。そこで風邪を治す為に、注射を一本打ってもらったというのだ。それがどうした。
「その時の注射代が7千円かかったの。だから7千円だわさっ」
「はああっ???」
オレは心底呆れ果てた。そしてついに爆発した。
「こらっ、ばばあっ!オノレ、しのぎかけんやったら相手見てかけえよ!はばあっ!」
おばばは、
「ばばあ」
という箇所に敏感に反応してみせると、
「まぁっ! 」ともらしながら、不快感をあらわにした。
「ほたら何かいっ。この犬が一週間前に人でも殺しとったら、それもオレの責任なんのかいっ。かわりに懲役いかんといかんのかいっ。弁護士費用出さんといかんのかいっ!」
「懲役って、、あなたは何をゆうてんのっ、おばちゃんがゆうてるのはー」
「やかましわいっ!オノレのゆうとるコトは一緒じゃ!どこの世界に、買う前にかかったか、かかってへんかわからん治療代払う、すっとこどっこいがいとんねんっ。6万5千円までやとか貼り紙に出しといて、いざ来てみたら8万5千円やぬかしたり、エサ代に1万払え言い出した思ったら、今度は7千円払えやとっ!あんまりアコギなコトしとったら、二度と犬みんのも嫌なるくらい、バラバラにしてまうどっ!!」
オレは胸にたまった鬱憤を一気に吐き出した。

「そっ、そんな言い方するんだったら、もう買ってもらわなくてもいいだわさっお金もかえすから帰ってちょうだいっ」
「オノレはアホか。詐欺かけようとしとって、めくれたから銭かえすでは、もう通らんのじゃっ!」
睨み合うオレとおばば。

「気に入ったぁ!」

何がお気に召したのであろうか。おばばがピシャリと自分の膝を叩いた。
「つかさんのそのストレートなものいい。気に入っただわさっ。もう七千円はおばちゃんがサービスさせてもらうわっ。さあ!もっていって頂戴っ!」

おばばは、まるで大盤振る舞いでもするかの如く、きっぷよさ気な商売人を演じてみせた。
なんだかケムにまかれたようで、拍子抜けしてしまった。
「一つだけ確認させてもらうで。オレはこの通りみたまんまの人間や。自分でゆうのもなんやけど、嫌になるくらいややこしい。しかもそのややこしいのを売りにしてメシくうてる人種や。それで聞くけど、この犬こうて帰って、後々ガチャガチャするようなコトないやろなっ」
還暦に届きそうなおばばを相手に、凄みをきかせるオレもかなりどうかと思うが、おばばの胡散臭さには思わず、サンをうたずにはおれぬオーラが充満していた。
普通のばあさんなら、みるからにヤクザ者とわかるような人間に、このようなコトをいわれスゴまれでもしたら、震え上がるところなのに、おばばはもちろん違った。
しわがれはてた掌でコブシをつくると、脂肪がふんだんにブレンドされたコトを、吐き気と共に想像するコトの出来る胸をドスンと一発たたいてみせた。
「それはおばちゃんの保証付きだわさ。間違いありましぇんっ。これでもおばちゃんはこの業界じゃ、ちょっとは知られたブリーダーなのよ。その辺の胡散臭いブリーダーなんかと一緒にしないで欲しいだわさ。嘘をついたり人を騙したりしたコトは一度もありましぇん。なんだったら、つかさんには特別に血統書もつけてあげるだわさっ」
あげるって、血統書の犬をかいにきたのだから、それを証明する書類がつくのは当たり前じゃないのか...。

おばばが喋れば喋るほど、胡散臭さが募っていった。オレはもうキレイさっぱり、おばばのコトは、記憶の中からホールドアウトしてしまうコトにして、おばば邸を後にするコトにした。
ここから出れば、もう二度とこの屋敷の敷居をまたぐコトも、魔女のような、おばばを思い出すコトもないであろう。

と思ったけれど、やはりここから話しはもつれにもつれていった。
嘘をついたり、人を騙したりしたコトは一度もない、と豪語してみせたおばばの嘘が露出するのに、たいした時間はかからなかった。
オレが家に辿り着くまでには、めくれきってしまった。
何もめくる気でおばばの嘘をめくった訳ではない。
出来るコトならば、オレだっておばばのコトは忘れてしまいたかった。忘れるつもりだった。
ただオレはちびすけの首輪やおもちゃといったものを、なけなしの7千円で揃えてやろうと思い、近くのペットショップに立ち寄った、それだけだ。
それだけで、おばばの嘘がめくれてしまうのだから、なんたるずさんであろうか。ある意味怖いもの知らずである。


オレはちびすけに、
「ちょっと行ってくるから、待っとってなっ。すぐ帰ってくるからなっ」
と語りかけ、くーんつくーんっと淋し気な声で鳴く、ちびすけを車内に残しペットショップの中へ
と入った。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)