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小説「忘れな草」第24話 沖田臥竜

小説「忘れな草」第24話 沖田臥竜

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喪失感というヤツを初めてしったのもこの時だ。

昨日まで、あんなに元気だった樹愛が、愛を?くれた樹愛が、いきなり転校してしまったのだ(元気は関係ないか)。
あんなバイバイのしかたが、永遠のバイバイへとなってしまうのか。ひど過ぎやしないか。
なぜ樹愛は、昨日。病いに倒れた親戚のおばちゃんの為に家路へと急いでいるなどと、ウソをつくオレにそのコトを教えてくれなかったのか。
もしや、叔母の病いなるウソを信じたのではあるまいか!?

樹愛の声が、笑顔が、香りが、身体が(みたコトないが) 、遠ざかっていく。

オレは樹愛に告白すら出来ないまま、この冬、二度目の失恋をしてしまった。
空からは、昨日樹愛がウソをついた雪が舞っていたのを覚えている。
その雪は、どこまでも白く、そして、どこまでも冷たかった。


(4)平成20年7月7日


ひこ星とおり星でさえ、今日この日。七夕には、天の川で逢い引きしよるというのにだ。
オレはどうでありましょうか。
七夕の今日こそは、メイクをバッチリきめた「奴」が、心をときめかせて面会にやってくると、まるで乙女のようなコトを想って待っていたが、案の定「奴」は、やって来なかった。
あげく嘲笑うかの如く誰からも、もちろん「奴」からも、手紙すら届きやしない。

中で生活する者にとって、何が励みであり、何が楽しみかといえば、それは社会の者からの手紙や面会に他ならない。
最近のように面会どころか、2週間も三週間も手
紙すらなければ、オレは本当に世の中から必要とされている人間なのだろうか、と哲学的なコトまで考えさせられてしまう。

ー今日は七夕やから、絶対逢いたいって思っとってんー

2年前。まだガラ(身体)が、警察の留置場に繋がれている時だった。「奴」は面会時間が終了し、面会室から退室する間際にそんなコトをおっしゃっておった。
奴は別人になってしまったのだろうか。もしくはハナから別人だったのだろうか。

オレはそんなにも奴に難しいコトを言っておるか!?
たかだか、月に三度面会へと来て、週に数回、手
紙なり、ハガキなりを入れてくれと言ってるだけではないか。
それはそんなに難しいコトか、自分勝手なコトなのか。

日記にこんなコトを書いても仕方ないけれど、オレだけに限らず社会に女を待たしている懲役は、誰しも綺麗な姿、そして心で自分の帰りを待っていて欲しいと願うものである。一途に脇目を振らず、待っていて欲しいと祈るものである。
自分勝手だ、自己中心的だ、と批難されようが、それが、心情というものではなかろうか。
でもそれがいかに難しいコトかというコトも、充分理解している。
娑婆でも中でも、男でも女でも、人間24時間、365日。完ぺきを保てる人間なんていやしない。
そんなのが、仮に保てる人間がいるとすれば、それは心のない人間と同じだ。
そんなもの死んでいる人間とかわりはしない。
綺麗なものをみれば、美しいと思い、おいしいものをくえば、うまいと感じれるのが、健全な人の心であり、感情なのだ。
4年もの間、社会で女一人待っていれば、場の雰囲気にのみこまれてしまうコトだって、優しい言葉にホロリとしてしまい、肩を抱かれるコトだってあるかもしれない。

それは悲しいコトだけど、同時に仕方ないコトでもあると思う。
ただそれならば、わからぬようにやれっというのだ。
毎月キチンと来ていた面会が急に途絶え、毎日届いていた手紙が減っていけば、誰だって勘繰り始めやしないか。
それでたまに手紙が届いたと思えば、体調が悪く病院と家を往復する毎日という。

始めの内は、そりゃ心配だってしよう。だけどそれが3ヶ月も4ヶ月も続けば、誰が信用できる?(不治の病いでもなかろうに)

オレはできなかった。人間、限度というものがある。


●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)