>  > シリーズ"しばき隊の真実"第三回「新大久保コリアンタウンを守ったのは、しばき隊だったのか」
義賊か、それとも悪党か。 “しばき隊”とは何だったのか?

シリーズ"しばき隊の真実"第三回「新大久保コリアンタウンを守ったのは、しばき隊だったのか」

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新大久保コリアンタウンを守った者


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シットインの光景(新大久保)筆者提供


 2013年6月30日。再び、差別デモ隊が告知された。政府も警察も区役所も、在特会の差別デモを止められない。私たちが止めるしかなかった。しばき隊は、差別デモ隊が出発地に使用する公園、大久保公園の包囲をしようと試みた。物理的にデモを大久保公園から出さなくしようとしたのだ。大勢の人々が集まったが、そこは百戦錬磨の機動隊。しばき隊作った壁は、機動隊にぶち破られ、こじ開けられてしまったのだ。結局、差別デモを止めることはできなかった。しかし、変化が起きた。2016年7月。差別デモの許可が通らなかったのだ。その理由は街が騒乱状態になるからか、多くのしばき隊の圧力のせいか、新宿警察署や区役所の判断か、はっきりとは分からなかった。

 しかし、ほとぼりが冷めた2013年9月8日。また、新大久保コリアンタウンで差別デモの許可が下りてしまい開催されることになる。一度、平穏が訪れた街を壊されたくないとしばき隊は怒り心頭。差別デモ隊が通る道路に、シットイン(座り込み)を大人数で始めたのだ。壁より破られにくい座り込み。これは行動としては簡単だが、道路交通法違反で逮捕の危険性がある。また、排除しようとする警察の指示に従わなければ公務執行妨害罪が適用される。そりゃそうだ。車道にいきなり座り込んだりしている人がいて、取り締まる法律がなかったら問題である。けれども、機動隊は力ずくで座り込みをしたしばき隊を持ち上げて排除をしていく。どんなに踏ん張っても持ち上げられてしまう。私もぶん投げられてしまい、差別デモが通ってしまいスタートされてしまった。それでも諦めなかった。差別デモが大通りに出ると同時に、どんどんと道路にしばき隊が飛び出す。車道に座り込んだり、寝転んだりする。数人ではない。数十人、数百人がこの行動に加わった。差別デモは歩けなくなる。機動隊は慌てて、カウンターを道路から排除する。まるで、道路に転がった死体を投げ飛ばすような凄い光景だった。


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シットインの光景(新大久保)筆者提供


 デモは必ず決まったコースを通らなければいけないというルールがある。この行動は、それを逆手にとった。しばき隊は車道に飛び出すことにより、差別デモができないようにしようとしたのだ。機動隊がしばき隊を排除できなければ差別デモは通過できない。歩道に投げ飛ばされては、再び道路で座り込むしばき隊。何度も何度も道路に飛び出してはシットインするのだが、機動隊は数人で手足をつかんで歩道に投げ飛ばす。怪我をするようにアスファルトに叩きつけられる人も沢山いた。私は心配していた。このことにより、逮捕されて職を失い、家族が露頭を彷徨う、そういった方々が出る事態にならないかと。私自身、何度も警告を出されていた。警告とは、警察が逮捕をする一歩手前で出すものである。これ以上したら逮捕をするという合図だった。が、幸い、シットインをしても逮捕者は出ていなかった。おそらく逮捕されなかったのはシットインするしばき隊の人数が多すぎたからだろう。片っ端から逮捕したら留置場に入りきらなくなってしまう。こんな大人数だと逮捕はできなくなるのだ。ヨーロッパのネオナチに対する反差別運動などは、それを計算して大人数で差別デモにカウンターで突っ込むのだ。しかし、警備の雰囲気を見ている限り、いつ逮捕されてもおかしくはなかった。こんなことが起こるとは、機動隊も想像もできなかっただろう。危ないのだが、それでも皆が負傷を省みず車道にダイブをした。しかし、そこまでやってもさすがの機動隊。取っては投げ、ちぎっては投げ、捨てられ、という感じで、結局しばき隊は最後まで差別デモを通してしまい、止めることはできなかった。悔しい気持ちで一杯だった。

 けれども、新大久保コリアンタウンではこの9月8日を最後に、差別デモは開催されなくなった。今だから話せるのだが、差別デモができなくなったのは、しばき隊の成果が全てじゃない。何より大きかったのは新大久保コリアンタウンにシマを持つ、有名な親分さんが動いてくれたからだ。週末のかきいれ時に、こうも騒乱状態が続けば商店街はお客が遠ざかってしまい、深刻な売上不足に悩まされてしまう。これではまともに飲食店などは営業ができない状況である。店を営む日本人や在日コリアンの多くの方々が、商売にならずに嘆いていた。親分さんはそうした危機的状況を憂い、解決してくれたというわけだ。

 こうして新大久保コリアンタウンは守られたわけであるが、その他の場所では差別デモが今まで通りおこなわれていた。しばき隊と在特会の闘いは、まだまだ始まったばかりであった。(以下続く)




山口祐二郎
1985年、群馬県生まれ。歌舞伎町ホストなどを経て、新右翼「統一戦線義勇軍」幹部に。2007年に防衛省襲撃事件、2012年に東電会長宅前断食断水ハンストを起こし脱退。現在は、「全日本憂国者連合会議」議長、「憂国我道会」会長。作家・活動家として活躍。 著書に『ハイリスク・ノーリターン』(第三書館)、『奴らを通すな!』(ころから)がある。

山口祐二郎公式ツイッター  https://twitter.com/yamaguchiyujiro