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【宮崎学特別寄稿】「ヤクザもいる明るい社会」は作れるか

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ヤクザとの共生

 ダイヤモンドオンラインの記事がネットを中心に波紋を呼んでいるという。

【ヤクザと共生する街、神戸市民の意外な「山口組観」】(記事リンク)

「ヤクザをほめすぎ」だの「書き手がヤクザに取り込まれている」などという批判もあるにはあるが、こうした記事が注目されるのは、行き過ぎた暴排に対する市民の疑問も背景にあるのではないかと考える。東組清勇会のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』(東海テレビ)が異例のヒットとなったのも、同じ理由かもしれない。

 たしかにこの記事は、山口組による子どもたちのハロウィンの菓子のプレゼントが好評だったことや、「ヤクザの存在が地域の秩序を守り、犯罪を防止している」「阪神・淡路大震災などでは行政よりも助けてくれた」などの声を紹介し、"ヤクザ大絶賛"で、読んでいて気恥ずかしくもなる。

 ただし、この記事をまったくのウソだとは言わない。実際に「ヤクザはありがたい」と考えている人もいるだろう。

 なぜなら「ヤクザ」といっても何万人もいるからだ。「大親分」と呼ばれる人の大半は、カタギにとって「親切でいい人」であることが多く、そのような親分の側近や部屋住みもだいたい「感じがいい人」である。ましてや山口組総本部ともなれば、近隣住民とトラブルなど起こすはずもない。

 しかし、そうではないヤクザのほうが圧倒的に多いのも、また事実だ。大親分への道は文字通りの狭き門である。ほとんどが幼少時の貧困や家庭の事情などで心に疵を抱えて育っており、不器用な生き方をしている。そうした者たちに「暴力はダメです」とか「もっと他人を思いやりなさい」などと言っても無理なのだ。

 だから、ヤクザを一括りにして「地元に貢献している頼れる存在」あるいは「排除すべき存在」などと簡単に評するのは、本来は無理がある。