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【宮崎学特別寄稿】人を殺す時に「計算」するのはヤクザだけ

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 11月11日、福岡拘置所で死刑が執行された。第2次安倍内閣以降で死刑が執行されたのは、今年3月から10回、17人目という。ずいぶんと「吊るした」ものである。

 10月の人権擁護大会で、日弁連が「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言を採択したばかりだったが、「弁護士のたわごとなど法務省と法相は関知しない」という意思表示なのかもしれない。

 報道によると、刑を執行された田尻賢一(45)は、04年と11年に起こした3人に対する殺傷事件に関して2件の強盗殺人などの容疑で起訴され、12年に死刑が確定していた。ギャンブルや風俗店通いで借金を抱えていたとされ、2人の女性を殺害し、あわせて現金約30万円を奪っている。

 普通は30万円のために人殺しはしない。しかも1人目の被害金額は18万円、2人目が10万円であった。

 借金などで精神的に追い詰められ、冷静に判断できなくなっていたのだろうが、一般的に人を殺す時の人間の精神状態は冷静ではない。

「これで○年の懲役で、一審で確定すれば□年にはシャバに戻れる」などと冷静に計算するのは犯罪のプロであるヤクザくらいのものだが、そのヤクザも実際にはかなり緊張し、逃げ出したくなる。

 それで思い出すのが、この夏に起こった相模原の19人の殺害事件である。犯人の植松聖は、きわめて冷静に堂々と「世界経済の活性化」のために「不幸を作ることしかできない障害者たち」(※1)を殺していった。

 すなわち田尻や植松にとって、死刑は抑止力にはなっていない。

「人を殺したら、死刑になる」という子どもでも知っていることを理解できない精神状態にあったのだ。

※1=2016年2月、衆議院議長に宛てた手紙に「世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたから」「障碍者を抹殺」すると書いていた。犯行は7月26日。