>  > 古都激震 「後見」制度をめぐり会津小鉄会と弘道会が一触即発!?
シリーズ「山口組分裂の真相を追う」

古都激震 「後見」制度をめぐり会津小鉄会と弘道会が一触即発!?

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京都嵐山の紅葉


 10月8日、会津小鉄会本部に弘道会の中野寿城若頭らが訪問、馬場美次六代目と六代目山口組の後見をめぐって言い合いになったとのニュースがかけめぐった。

「こうした衝突はいずれあるだろうなとは思っていました。以前から会津小鉄が六代目と神戸山口組とどのようにつきあっていくのかという課題はあったんです」と地元紙記者は明かす。

「もともと田岡一雄三代目の時代から京都に進出しようとする山口組と京都のヤクザとの対立はありました。特に1962年の『木屋町事件』では、繁華街の木屋町で多数の死傷者を出してしまいます。そこで、当時の田岡一雄三代目と京都の大親分・二代目中島会の図越利一会長との手打ちが行われました。その席で田岡三代目が『山口組は京都の旧市街(繁華街)には新たに進出しない』と確約したといわれています」

 この時の手腕などを評価された図越二代目は、のちに昭和初期に途絶えていた「会津小鉄」の三代目に就任、名跡を復活させた。

「田岡さんも図越さんを評価していたといわれています。図越さんの三代目襲名が75年で、その後はバブルや五代目山口組直参だった中野会の中野太郎会長の襲撃事件などいろいろあって現在に至っていますね。馬場さんは穏健派として知られますが、神戸山口組との関係が六代目山口組よりも深いとの噂もあり、今回の弘道会の訪問につながったのかもしれません」

 馬場六代目自身を含め、ヤクザの幹部の逮捕が相次ぐ中で、組織間協力はこれまで以上に重要となるが、今回の「言い争い」は尾を引きそうだ。

「『落としどころ』をどこに持って行くかは難しいでしょうね。どうなるか、目が離せません」

 不況や暴排、幹部の逮捕など強い逆風の中で、新たな闘いが始まるのだろうか。


(取材/文 R-ZONE編集部)