>  > 神戸連続児童殺傷事件の元少年Aは許されるべきなのか、上祐史浩にきいてみた②
「ひかりの輪」上祐史浩代表ロングインタビュー

神戸連続児童殺傷事件の元少年Aは許されるべきなのか、上祐史浩にきいてみた②

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(前回までのインタビューはこちら リンク

「人殺し」の「生きる価値」


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──つまり彼は治療を受けたけれど、今も実はまったく治ってない。また同様の無差別猟奇殺人に走る可能性もあると?

上祐 いや、そうではありません。逮捕後、元少年Aは医療少年院に送られ、国をあげた最高の治療チームによる治療を受け、彼が悩んだ「なんで人を殺してはいけないのか?」という命題に関して教育・治療を受けたり、彼なりに考えたと思います。そして、本にあるように、出所後に彼なりに生きる中で、自分に大切な人ができ、その自分の大切な人が、誰かに殺されるたらと考え、自分はなぜあんなことをしてしまったのかと思ったと書いています。だから大きく変わった部分はある。

 しかし、まだ問題が残っている。彼は、「人を殺しちゃいけないってことはわかりました」と書いているが、「殺してしまった自分はどうすればいいかわからないです」とも書いている。この点が、自己の存在する意義・価値が、依然として得られていない、乾いていると思うのです。この思いが十分に整理されないうちに、彼は本を書いてしまったので、ああした内容になってしまったと思います。

──なるほど。人を殺すことがいけないことだとはわかったと。ところがそれがわかってしまったからこそ、今度はそんな人として絶対にやってはいけないことをした自分が、この先どうやって生きていったらいいのかがわからなくなった。それは苦しいでしょうね。

上祐 ええ。その意味で、最初に戻ってしまう。彼は自分が生きる価値を感じられなかったために、犯罪を犯した。そして、今は、その犯罪のために、生きる価値を感じられない。医療チームは、彼に「人を殺しちゃいけない」と教育することに成功したが、「人を殺した者が、どうしたら生きる価値を見つけることができるか」は教えられなかったのでは。その点が解決しないままに、彼がたどり着いたのが、ああした手記を無理やりに出版することだったのではないでしょうか。その分、内容が偏ったものになったと思います。